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ガースー : ウィキペディア日本語版
菅賢治[すが けんじ]

菅 賢治(すが けんじ、1954年11月27日林家ぺー・パー子 公式ブログ/NSC1期生の憑依芸人 2010年9月8日〕 - )は、長崎県佐世保市出身のテレビプロデューサー。元日本テレビ制作局長代理、制作局チーフプロデューサー、制作局次長、バラエティー局総務、編成局総務兼編成戦略センター長、制作局総務兼バラエティセンター長、チーフプロデューサー兼編成局番組制作向上推進事務局局員を務めていた。長崎県立佐世保北高等学校日本大学藝術学部卒。愛称、菅ちゃんガースー
同局で、主にバラエティ番組の演出、プロデュースを担当している。
== 来歴 ==
日本大学芸術学部在学中より“ABLE”というバンドのボーカルを務め、渋谷にあったライブハウス・“ヘッドパワー”に常時出演するなど、ミュージシャンを目指していたが挫折。その後1982年、知人に誘われ、日本テレビの子会社である日本テレビエンタープライズ(現在は統合、再編により日テレアックスオン)の契約ADとなり、その後経験を積んでディレクターに昇格。『酒井広のうわさのスタジオ』など主にワイドショーを担当し、1988年に中途採用で日本テレビに入社した。
ダウンタウン明石家さんまを起用した番組を成功させた、日本テレビのバラエティ部門の功労者。細木数子古舘伊知郎ら他では考え付かないキャスティングや奇抜な企画内容でバラエティ番組を作り上げることでも知られる。
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(ガキの使い)では時折、自ら出演者としても参加。菅を主役にした企画も数多く、ともすれば松本人志をして「2世タレント」とまで言わしめるほどの独特のキャラクターと、下手な芸人顔負けのギャグセンスを発揮することもある。特に菅自身が『西部警察』の大ファンであることから生まれた、渡哲也演じる大門圭介になりきったキャラクター「菅大門」、「コンニチハ〜、トーキョー!!!」とハイテンションで絶叫するトーマス・マクレガーなど名物キャラクターも生み出している。その他同局制作のドラマ『明日があるさ』にも出演したことがある。
なお、罰ゲームである『絶対に笑ってはいけないシリーズ』では、毎度毎度、看板や写真、ポスター、新聞などの小道具に登場し、笑いを誘った。「ラーメンと動物は視聴率を取るんだなぁ」「ラーメン視聴率(すうじ)取れなきゃ を出せ」や「下ネタは 俺がいるうち 許さねぇ」「テレビマン 出来る奴ほど 色黒だ」など、迷言も生まれている。
愛称は前出のもの以外に毛ボール焦げたテニスボール黒毛和牛といった別称もある。ガースーの初出は、第94回放送(1991.08.06)「天狗になっているパーマン2号(斉藤敏豪)をこらしめよう」より。「最近業界人気取りで、ギロッポンだの菅をガースーと呼んだり調子こいている」という内容。
担当する番組の多くはプロデューサー兼演出を手掛けてきたが(演出は一部の番組を除く)、2005年6月、編成局制作センターCPに昇格。吉田真安岡喜郎梅原幹CPらから担当番組を引き継いだ。2006年1月16日、組織変更に伴い制作局付となり、2007年7月1日、井上健とともに制作局次長に就任した。
そして、2008年7月1日より担当していたすべての番組を竹内尊実、大野彰作チーフプロデューサーらに引き継いでいる。しかし局次長待遇となり、番組を引き継いだ後も現場に顔を出し、『ガキの使い』においては従来通りオープニングや罰ゲーム企画にも出演している。
2009年7月1日からはバラエティー局総務に、2010年6月29日からは編成局総務、編成戦略センター長に、2011年7月1日から制作局総務兼バラエティーセンター長に、2012年6月1日より制作局長代理兼チーフプロデューサーとなり鈴木雅人松岡至CPが担当した一部の番組のチーフプロデューサーに就任した。2012年9月2日より担当していた一部の番組を大野彰作、松崎聡男チーフプロデューサーに、また同年12月1日より担当していた一部の番組を松崎聡男、加藤幸二郎チーフプロデューサーに引き継ぐとともに、編成局番組制作向上推進事務局員も兼務する。しかし、2013年6月1日付で制作局チーフプロデューサーと編成局番組制作向上推進事務局兼務を解き、制作局長代理のみになる。〔2013年5月14日(火)付読売新聞朝刊2面より。〕また、同日付で担当していた番組は、田中宏史チーフプロデューサーが引き継いだ(行列は福田博之CPと共同)。
2014年3月31日付で日本テレビを退職〔日刊文化通信速報 2014年4月4日付 『日テレ、菅賢治プロデューサー3月末退職』 〕。退職後もフリーのプロデューサーとして、日本テレビ制作の一部の番組に引き続き関わっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「菅賢治」の詳細全文を読む



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