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キタノオー(1953年5月15日 - 1958年10月14日)は、日本の競走馬。 1955年に中央競馬でデビュー。同年の朝日盃3歳ステークスを制し、最優秀3歳牡馬に選出される。翌年のクラシック三冠戦線ではヘキラク、ハクチカラと共に「三強」に数えられ〔、三冠最終戦の菊花賞に優勝。年末の第1回中山グランプリ(有馬記念)ではファン投票1位に選出されて2着となり、当年最優秀4歳牡馬となった。1957年には天皇賞(春)に優勝している。1958年秋に急性肺炎のため現役のまま死亡した。通算29戦16勝。 血統の一部が不詳な「サラブレッド系種」の名ファミリー・バウアーストック系の代表的名馬である〔。兄に中山大障害(春)優勝馬アシガラヤマ、妹に朝日杯3歳ステークス優勝馬キタノヒカリ、弟に菊花賞優勝馬キタノオーザなど近親には数々の活躍馬がいる。 ''※以下、馬齢は2000年以前に日本で使用された数え年で統一して記述する。'' == 経歴 == === 生い立ち === 1953年、北海道浦河町・武田重四郎の生産。牧場はアラブ馬の生産を主としており、本馬はこの年唯一生まれた「サラブレッド」であった〔。父トサミドリは1949年に皐月賞と菊花賞のクラシック二冠を制し、後に種牡馬として数々の活躍馬を出し殿堂入りも果たすことになるが、本馬はその初年度産駒である。母バウアーヌソルは競走名を「ハレヤカ」という不出走馬であったが、祖母バウアーストックは1926年にオーストラリアから輸入された通称「豪サラ」で、平地で12勝、障害で10勝の計22勝を挙げた活躍馬であった〔『優駿』1963年7月号、pp.55-57〕。ただし血統書がなかったことから、品種は詳細な血統証明が求められるサラブレッドではなく「豪洋''(注:「豪州産洋種」の略)''」として登録された。このため、当時のバウアーストックの子孫もサラブレッドに準ずる扱いの「サラブレッド系種」として登録されることになった〔。 競走年齢の3歳に達した1955年、久保田金造厩舎に入る。騎手は久保田厩舎所属の若手騎手・勝尾竹男(のち伊藤と改姓)が務めることになった。竹男はデビュー前に騎乗した際の印象について「キタノオーと比較すると、それまで乗っていた馬は同じ四足でも豚同然。車ならポンコツだった。そこへいくとキタノオーは超一級の外車。この馬で大きいレースを勝てないようでは男がすたると思った」と述べている〔『優駿』1984年4月号、p.80〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キタノオー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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