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キネシマ(ロシア語:;Kineshma)はロシア連邦イヴァノヴォ州の都市。モスクワの北東400kmにある。ヴォルガ川右岸(南側)に沿って15kmほど市街地が延びており、南西100kmにある州都イヴァノヴォに次ぎ州内では二番目に大きな町。ヴォルガの北の対岸には同じくイヴァノヴォ州に属するザヴォルシスクの街がある。人口は95,233人(2002年国勢調査)。'';Kineshma)はロシア連邦イヴァノヴォ州の都市。モスクワの北東400kmにある。ヴォルガ川右岸(南側)に沿って15kmほど市街地が延びており、南西100kmにある州都イヴァノヴォに次ぎ州内では二番目に大きな町。ヴォルガの北の対岸には同じくイヴァノヴォ州に属するザヴォルシスクの街がある。人口は95,233人(2002年国勢調査)。 == 歴史 == かつてはフィン・ウゴル系の民族メリャ人が住んでおり、「キネシマ」の名は「深い水」を意味する彼らの言葉に由来する。 キネシマの名は1429年、タタール人の襲撃を受けたポサド(パサド、濠に囲まれた集落)の一つとして記録に初出する。1504年、モスクワ大公イヴァン3世はキネシマを、ゲディミナス朝の血を引くベールイの貴族でリトアニア大公国の下からモスクワへ逃げたフョードル・ベリスキー公へと与えた。後にイヴァン4世はキネシマをイヴァン・ペトロヴィチ・シュイスキー公に与えているが、シュイスキーの死後の1587年には再度ツァーリが取り戻している。 ロシアの歴史上、キネシマは様々な地域に属してきた。アルハンゲリスク州、ヤロスラヴリ州、コストロマ県(グベールニヤ)などである。動乱時代の1608年にはポーランド・リトアニア軍により二度略奪を受けた。 16世紀から17世紀、キネシマはヴォルガ川の漁業の中心地で、ここで獲れたチョウザメはツァーリの食卓にも上った。18世紀からは街の主産業は、イヴァノヴォ州の他の町同様に綿花栽培をもとにした繊維工業へと移った。1758年には最初の大きな織物工場が完成し、1777年には町の地位を得て、繊維工業や港湾運送業で栄えた。1871年にはモスクワとの間に鉄道も開通し、繊維工業のほかにも鉄製品の鋳造場や化学工場などが建った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キネシマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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