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キプリアヌス
キプリアヌス (, Kyprianόs、 現代ギリシア語転写: キプリアノス・カルヒドノス、3世紀初頭 - 258年9月14日)は、カルタゴの司教(主教・監督)。初期キリスト教の重要な著述家であり、ラテン教父に数えられる〔"Matthew 1-13: New Testament 1A (Ancient Christian Commentary on Scripture)" (p301, p308) Intervarsity Pr (2001/09) ISBN 9780830814862〕。カトリック教会、聖公会、ルーテル教会、正教会、非カルケドン派で聖人として崇敬される。 日本のカトリック教会ではカルタゴの聖チプリアノ〔『YOUCAT(日本語)――カトリック教会の青年向けカテキズム』日本カトリック司教協議会青少年司牧部門訳、カトリック中央協議会、2013年6月30日、ISBN:978-4-87750-174-7、p281〕、聖チプリアノ司教殉教者といった表記がなされる。日本正教会ではカルファゲンの神品聖致命者キプリアンと表記される〔『正教会暦 2010年』49頁、日本ハリストス正教会教団〕。 == 生涯 == 3世紀の始めごろに北アフリカで生まれる。著名な修辞学者だったが、246年頃にクリスチャンとなり、その後わずか数年も経たない249年に司教(主教)となった。司教就任時には既に聖書とテルトゥリアヌスの著作について深く理解していた〔『キリスト教大事典 改訂新版』260頁 - 261頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版〕。 デキウス帝による迫害時には身を隠したが、手紙によって教会の指導にあたった。この迫害の時に棄教したクリスチャンたちの教会への復帰問題が起きたが、最初キプリアヌスは厳しい態度でこれに臨んだものの、その態度をのちに軟化させ、適当な改悛ののちに教会に復帰することを許した(251年)。このことでノヴァティアヌスやローマ教皇ステファヌス1世と論争する。この論争はヴァレリアヌス帝の迫害によってキプリアヌスが逮捕され間もなく殉教したことで中断された。〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キプリアヌス」の詳細全文を読む
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