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漣川郡(ヨンチョンぐん)は大韓民国京畿道の北部にある郡である。郡の西部から北西部にかけて軍事境界線が通っている。 == 歴史 == * 1895年旧暦閏5月1日 - 漢城府漣川郡に改編。 * 1896年8月4日 - 京畿道漣川郡に改編。 * 1906年 - 江原道鉄原郡官仁面を編入。 * 1914年4月1日 - 郡面併合により、麻田郡・積城郡・朔寧郡の一部(郡内面・西面・南面・東面)・楊州郡の一部(嶺斤面)・長湍郡の一部(長新面の一部)が漣川郡に編入。漣川郡に以下の面が成立(13面)。 * 官仁面・郡内面・中面・旺澄面・嵋山面・百鶴面・郡南面・積城面・南面・北面・西南面・東面・嶺斤面 * 1934年4月1日 - 東面・北面が合併し、朔寧面が成立(12面)。 * 1937年 - 郡内面が漣川面に改称(12面)。 * 1941年 - 嶺斤面を全谷面に改称(12面)。 * 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。ただし、南面・積城面および百鶴面・全谷面の各一部は米軍管理下に置かれる(南4面、北10面)。 * 1945年11月4日 - 米軍管理下の南面・百鶴面・積城面・全谷面が坡州郡に編入。漣川郡消滅(10面)。 * 百鶴面・積城面・全谷面は坡州郡積城面に改編。 * 1946年2月5日に南面は楊州郡に移管。 * 1946年12月 - ソ連軍管理下の京畿道漣川郡漣川面・官仁面・中面・朔寧面・西南面・旺澄面・嵋山面・百鶴面・全谷面・郡南面と抱川郡(永平郡)青山面・蒼水面を江原道漣川郡として編成(12面)。 * 1953年7月27日 - 朝鮮戦争の休戦により、朔寧面・西南面の大部分を除く全域が韓国政府統治区域となる。 * 1954年11月17日 - 収復地区臨時行政措置法により、漣川郡に対する施政権が回復し、坡州郡の全谷面・百鶴面を返還。以下の8面で再出発。 * 漣川面・郡南面・官仁面・嵋山面(坡州郡積城面の一部を編入)・旺澄面(西南面の韓国政府統治区域・長湍郡江上面〔実際は全域が北朝鮮領。〕を編入)・中面(朔寧面の韓国政府統治区域を編入)・全谷面・百鶴面(長湍郡大江面・長道面の韓国政府統治区域および長南面の一部を編入)。〔朔寧面・西南面および長湍郡から編入された部分はすべて非武装地帯になっている。〕 * 1963年1月1日 - 行政区画の見直しが実施される(9面)。 * 新西面(寅目面の韓国政府統治区域を含む)を江原道鉄原郡から移管。 * 長湍郡長南面が百鶴面に編入。 * 坡州郡積城面の一部が全谷面に編入。 * 1965年5月1日 - 百鶴面元堂出張所を設置。 * 1979年5月1日 - 漣川面が漣川邑に昇格(1邑8面)。 * 1983年2月15日 - 行政区画の見直し。(1邑8面) * 官仁面が抱川郡に移管。 * 抱川郡青山面の一部を編入し、漣川郡青山面を設置。 * 1985年10月1日 - 全谷面が全谷邑に昇格(2邑7面)。 * 1987年1月1日 - 嵋山面の一部が百鶴面に編入(2邑7面)。 * 1989年1月1日 - 抱川郡官仁面の一部が漣川邑に編入(2邑7面)。 * 1989年4月1日 - 百鶴面元堂出張所(旧長湍郡長南面の区域を管轄)が漣川郡長南面として昇格・復活(2邑8面)。
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