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キャプテンナムラ
キャプテンナムラ(1975年4月27日 - ?)は、1970年代末から1980年代初頭に活躍した日本の競走馬である。父はシンザン、母はフエアリーレデー。おもな勝ち鞍は阪神大賞典・鳴尾記念の全21戦6勝。主戦騎手は田島良保で、追い込みを得意戦法としていた。 == 戦績 == 1977年12月にデビューしたものの3連敗。その後、年明け早々に未勝利では無く若竹賞特別で勝ち上がると、調整明け緒戦こそ敗れたが次走を連勝した。滑り込みで出走権を得た東京優駿(日本ダービー)に出走予定だったが、直前に骨折し出走は叶わなかった。秋に復帰すると菊花賞へのステップレースとして京都新聞杯に出走したが、9着に敗れた。菊花賞は、12番人気ながら最内を鋭く伸びたものの、勝負所で怯んだのが致命傷となりインターグシケンの2着に敗れた。だが、次走の阪神大賞典を勝利、初重賞制覇となった。更に鳴尾記念にも勝ち、天皇賞(春)では1番人気に押された。シンザン産駒初の八大競走制覇が期待されたが、淀名物・3コーナーで気弱な一面を見せたのが命取りとなり、4着敗退に終わった。その後は脚部不安に悩まされ、長期休養明け後3戦を6着・2着・4着した後、地方転出が決定した(坂口正大調教師は移籍決定までこの事を知らなかった)。紀三井寺競馬場では屈腱炎を患いながら1勝を挙げるが、最後は競走中止・引退となった。生まれついての気弱な性格が最後まで足を引っ張った形となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キャプテンナムラ」の詳細全文を読む
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