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キャロル・ディアリング号 : ウィキペディア日本語版
キャロル・ディアリング号[きゃろるでぃありんぐごう]

キャロル・ディアリング号()は商業スクーナー船である。この船は1921年にアメリカ合衆国、ノースカロライナ州のケープ・ハッテラス(Cape Hatteras)沖において座礁しているところを発見された。
発見当時、この船には乗員が一人も乗っていなかったため、航海史上の謎としてしばしば取り上げられる。このような状況となった原因として、バミューダトライアングルの犠牲となった、暴動が起こった、海賊による被害にあったなどの推測がなされている。また本船と同じような事件にはメアリー・セレスト号の事件がある。
キャロル・ディアリング号は、1919年にG.G.ディアリング社(G.G. Deering Company)により、メーン州バス(Bath)において商業用に建造された船である。会社のオーナーは自分の息子の名にちなんで船名を付けた。この船は貨物を運搬する計画に基づいて建造され、1年間使用された後に謎めいた最後の航海に出発した。この船はまもなくブラジルのリオ・デ・ジャネイロに行くはずであった。
== 最後の航海 ==
1920年8月19日、ディアリング号は、ヴァージニア州ノーフォーク(Norfolk)からリオ・デ・ジャネイロまで石炭を載せて航海する準備を整えた。本船の船長はウィリアム H. メリット(William H. Merritt)であった。またメリットの息子スーワル(Sewall)は一等航海士であった。10人の乗組員はスカンディナヴィア人(大部分はデーン人)ばかりであった。
1920年8月22日、ディアリング号はニューポート・ニューズ(Newport News)を発った。8月後半にメリット船長は病気になり、デラウェア州ルイス(Lewes)の港で息子とともに下船しなければならなかった。ディアリング社は彼に代わる船長を急いでさがさねばならず、引退した66歳の古参船長であるW.B.ワーメル(W. B. Wormell)を雇用した。またチャールズ・B・マクレラン(Charles B. McLellan)が一等航海士として雇われた。
1920年9月8日、本船はリオをめざしてふたたび出航し、同地に着き、事故無く貨物を引き渡した。ワーメルは乗組員に休暇を与え、別の貨物船の船長をつとめる旧友であるグッドウィン船長にぐうぜん出会った。ワーメルは乗組員のことを軽蔑の念をこめて話したが、ハバート・ベーツ技師(Herbert Bates)に関しては信頼を置いていると主張した〔Graveyard of the Atlantic page 〕。
この後、ディアリング号は1920年12月2日にリオを発ち、補給のためにバルバドスに立ち寄った。このとき一等航海士マクレランは町で酔い、「スノー号」(Snow)のヒュー・ノートン(Hugh Norton)船長に対し、「自分はワーメルの妨害なしに乗組員の訓練ができない」と述べたほか、「ワーメルの弱い視力のために自分がすべての操縦をしなければならない」等の不平を述べている。のち、ノートン船長と一等航海士、および別の船の船長がコンティネンタル・カフェ(Continental Café)に居たところ、マクレランが「おれはノーフォークに着く前に船長をやっつけてやるぜ」("I'll get the captain before we get to Norfolk, I will")と述べるのを聞いており〔、マクレランは逮捕された。しかし、1月9日、ワーメルは彼を許し、保釈して牢から彼を出し、ハンプトン・ローズ(Hampton Roads)に向けて出航した〔Bland (2005) p60〕。
1921年1月28日、ディアリング号は次に、ノース・カロライナ州のケープ・ルックアウト(Cape Lookout)の灯台船によって目撃されている。灯台船の管理者である船長ジャコブソン(Jacobson)は、外国語なまりのある赤毛のやせた男が自分に、この船は錨を失ってしまったと語ったと報告した。ジャコブソンはこのことに留意したが、しかし無線機は故障していたため、彼はそのことを報告することができなかった。彼は乗組員が船の前甲板を「うろつき回っている」("milling around")ことに気づいたが、その区域は通例、彼らの立ち入りが許可されていなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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