翻訳と辞書
Words near each other
・ キャンプ場
・ キャンプ天願
・ キャンプ座間
・ キャンプ朝霞
・ キャンプ村
・ キャンプ淵野辺
・ キャンプ熱
・ キャンプ瑞慶覧
・ キャンプ茅ヶ崎
・ キャンプ郡 (テキサス州)
キャンベラ
・ キャンベラ (ケント級重巡洋艦)
・ キャンベラ (フリゲート)
・ キャンベラ (ボルチモア級重巡洋艦)
・ キャンベラ (ボルティモア級重巡洋艦)
・ キャンベラ (客船)
・ キャンベラ (曖昧さ回避)
・ キャンベラ (重巡洋艦)
・ キャンベラ・キャバルリー
・ キャンベラ・スタジアム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

キャンベラ : ウィキペディア日本語版
キャンベラ

キャンベラ: or ))は、オーストラリア首都。35万8000人の人口を擁し、オーストラリア国内では8番目、同国内陸部では最大の都市である。キャンベラは、オーストラリア首都特別地域(ACT)に属し、シドニーの南西280キロメートル、メルボルンの北東660キロメートルに位置している。キャンベラの住民のことを英語で、Canberranと呼ぶ〔The Sydney Morning Herald. 7 September 1954 (pg 2)〕。
キャンベラがオーストラリアの首都として選ばれたのは1908年のことであり、同国の二大都市であるシドニーとメルボルンの間の首都をめぐる争いの妥協の産物であった。他のオーストラリアの都市とは異なり、キャンベラは都市全体が計画都市として設計され、誕生した歴史を持つ。キャンベラの都市設計においては、国際的なコンテストが実施され、シカゴの建築家であるウォルター・バーリー・グリフィンマリオン・マホーニー・グリフィンの計画が1913年に採用された。グリフィンの都市計画では、キャンベラの街は、円、六角形、三角形などの幾何学模様がモチーフとして採用されている。加えて、街の中心部は、ACTにおけるランドマークとして重要な景観を形成している。
キャンベラの都市デザインは田園都市の影響を大きく受けており、都市区域内には自然の植生の地域を組み込んでいる。キャンベラの建設に際しては、都市計画のために3つの機関が設立されたことから、議論が長期化すると同時に非効率になった。このため、都市の発展が妨げられ、大きく遅れることとなった。 第二次世界大戦後、ロバート・メンジーズ首相がキャンベラの整備を指揮し、国立首都発展委員会(NCDC:en)が設立された。ACTは現在では、地方自治が展開されている一方で、オーストラリア連邦政府は、国家首都局(NCA:en)を通じて、キャンベラの都市開発に大きな影響力を保持している。
オーストラリアの首都機能を有するため、キャンベラには、国会議事堂、高等裁判所、さまざまな官庁がある。首都機能のみならず、キャンベラには、オーストラリア戦争記念館en)、オーストラリア国立大学オーストラリア国立スポーツ研究所オーストラリア国立美術館en)、オーストラリア国立博物館オーストラリア国立図書館といった多くの社会的、文化的な施設がある。オーストラリア陸軍の教育機関として、王立軍事大学があり、オーストラリア国防大学もキャンベラに存在する。
== 語源 ==
キャンベラの語源のうち、広く知られているのは、先住民族の言葉であるNgunnawal語のKamberaが由来で、「人々が集う場所」と言う意味である。
一方、1860年代に、ケアンビヤンen)の新聞社のオーナーであったジョン・ゲールが報告した内容によると、先住民の言語で「女の胸の谷間」を意味する「nganbra」あるいは「nganbira」が英語化されたものであるとしている。この報告では、アインズリー山en)とブラックマウンテンen)の間にある氾濫源のサリバンス川についても言及している。
== 歴史 ==
ヨーロッパ人が移住する前の、キャンベラを含むオーストラリア首都特別地域(以下、ACT)は、先住民が季節に応じて、居住していたことが分かっている。文化人類学者のノーマン・ティンデールen)は、キャンベラを含む一帯は、ングンナワル人en)が居住していたと考えている。また、一方で、ンガリゴ人en)がACTの南に、ワンダンディアン人が東に、加えて、ガンダンガラ人()がACTの北に、ウィラジュリ人en)が北西に居住していた。この地域で発掘された遺跡から分かることは、少なくとも、21,000年前からこの地域に人々が住んでいたと考えられており〔Flood, J. M.; David, B.; Magee, J.; English, B. (1987). "Birrigai: a Pleistocene site in the south eastern highlands", ''Archaeology in Oceania'' 22:9–22〕、当時の人々の遺跡では、ロック・シェルター、岩に描かれた壁画、埋葬場、キャンプ、石切り場が発見されており、石器の使用も確認されている。
キャンベラにヨーロッパ人が探検、居住し始めたのは、1820年代初頭のことである〔〔。1820年から1824年の間にかけて4つの遠征隊が組織された〔Fitzgerald, p. 5.〕〔Gillespie, pp. 3–8.〕。その結果、1824年に最初の白人居住地が建設された。その場所は、現在のアクトン半島であり、ジョシュア・ジョン・ムーアによって雇われた人々が最初に、居住した〔Gillespie, p. 9.〕。ジョシュア・ジョン・ムーアは、1826年に、遠征隊の居住地を正式に買収し、その不動産を「Canberry」と名づけた〔Fitzgerald, p. 12.〕。
19世紀を通して、キャンベラの成長は非常にゆっくりとしたものであった〔Gibbney, p. 48.〕。19世紀に建設された建築物で目立つものと言えば、キャンベル・ファミリーと言われる石造りの建築物で、ドゥントルーンen)にある王立軍事大学en)がまず挙げられる。
キャンベラに現存する最古の公共建築物は、ライド地区にある〔Sparke, p. 116.〕聖公会系の洗礼者ヨハネ教会(the church of St John the Baptist)であり、1845年に建設された〔Gillespie, p. 78.〕〔Fitzgerald, p. 17.〕。この境界にある墓地は、キャンベラ地方にある墓地の中でも最古のものである。
ヨーロッパ人の存在感が増すに連れて、先住民の人口は天然痘あるいは麻疹を原因として、減っていった〔。'': or ))は、オーストラリア首都。35万8000人の人口を擁し、オーストラリア国内では8番目、同国内陸部では最大の都市である。キャンベラは、オーストラリア首都特別地域(ACT)に属し、シドニーの南西280キロメートル、メルボルンの北東660キロメートルに位置している。キャンベラの住民のことを英語で、Canberranと呼ぶ〔The Sydney Morning Herald. 7 September 1954 (pg 2)〕。
キャンベラがオーストラリアの首都として選ばれたのは1908年のことであり、同国の二大都市であるシドニーとメルボルンの間の首都をめぐる争いの妥協の産物であった。他のオーストラリアの都市とは異なり、キャンベラは都市全体が計画都市として設計され、誕生した歴史を持つ。キャンベラの都市設計においては、国際的なコンテストが実施され、シカゴの建築家であるウォルター・バーリー・グリフィンマリオン・マホーニー・グリフィンの計画が1913年に採用された。グリフィンの都市計画では、キャンベラの街は、円、六角形、三角形などの幾何学模様がモチーフとして採用されている。加えて、街の中心部は、ACTにおけるランドマークとして重要な景観を形成している。
キャンベラの都市デザインは田園都市の影響を大きく受けており、都市区域内には自然の植生の地域を組み込んでいる。キャンベラの建設に際しては、都市計画のために3つの機関が設立されたことから、議論が長期化すると同時に非効率になった。このため、都市の発展が妨げられ、大きく遅れることとなった。 第二次世界大戦後、ロバート・メンジーズ首相がキャンベラの整備を指揮し、国立首都発展委員会(NCDC:en)が設立された。ACTは現在では、地方自治が展開されている一方で、オーストラリア連邦政府は、国家首都局(NCA:en)を通じて、キャンベラの都市開発に大きな影響力を保持している。
オーストラリアの首都機能を有するため、キャンベラには、国会議事堂、高等裁判所、さまざまな官庁がある。首都機能のみならず、キャンベラには、オーストラリア戦争記念館en)、オーストラリア国立大学オーストラリア国立スポーツ研究所オーストラリア国立美術館en)、オーストラリア国立博物館オーストラリア国立図書館といった多くの社会的、文化的な施設がある。オーストラリア陸軍の教育機関として、王立軍事大学があり、オーストラリア国防大学もキャンベラに存在する。
== 語源 ==
キャンベラの語源のうち、広く知られているのは、先住民族の言葉であるNgunnawal語のKamberaが由来で、「人々が集う場所」と言う意味である。
一方、1860年代に、ケアンビヤンen)の新聞社のオーナーであったジョン・ゲールが報告した内容によると、先住民の言語で「女の胸の谷間」を意味する「nganbra」あるいは「nganbira」が英語化されたものであるとしている。この報告では、アインズリー山en)とブラックマウンテンen)の間にある氾濫源のサリバンス川についても言及している。
== 歴史 ==
ヨーロッパ人が移住する前の、キャンベラを含むオーストラリア首都特別地域(以下、ACT)は、先住民が季節に応じて、居住していたことが分かっている。文化人類学者のノーマン・ティンデールen)は、キャンベラを含む一帯は、ングンナワル人en)が居住していたと考えている。また、一方で、ンガリゴ人en)がACTの南に、ワンダンディアン人が東に、加えて、ガンダンガラ人()がACTの北に、ウィラジュリ人en)が北西に居住していた。この地域で発掘された遺跡から分かることは、少なくとも、21,000年前からこの地域に人々が住んでいたと考えられており〔Flood, J. M.; David, B.; Magee, J.; English, B. (1987). "Birrigai: a Pleistocene site in the south eastern highlands", ''Archaeology in Oceania'' 22:9–22〕、当時の人々の遺跡では、ロック・シェルター、岩に描かれた壁画、埋葬場、キャンプ、石切り場が発見されており、石器の使用も確認されている。
キャンベラにヨーロッパ人が探検、居住し始めたのは、1820年代初頭のことである〔〔。1820年から1824年の間にかけて4つの遠征隊が組織された〔Fitzgerald, p. 5.〕〔Gillespie, pp. 3–8.〕。その結果、1824年に最初の白人居住地が建設された。その場所は、現在のアクトン半島であり、ジョシュア・ジョン・ムーアによって雇われた人々が最初に、居住した〔Gillespie, p. 9.〕。ジョシュア・ジョン・ムーアは、1826年に、遠征隊の居住地を正式に買収し、その不動産を「Canberry」と名づけた〔Fitzgerald, p. 12.〕。
19世紀を通して、キャンベラの成長は非常にゆっくりとしたものであった〔Gibbney, p. 48.〕。19世紀に建設された建築物で目立つものと言えば、キャンベル・ファミリーと言われる石造りの建築物で、ドゥントルーンen)にある王立軍事大学en)がまず挙げられる。
キャンベラに現存する最古の公共建築物は、ライド地区にある〔Sparke, p. 116.〕聖公会系の洗礼者ヨハネ教会(the church of St John the Baptist)であり、1845年に建設された〔Gillespie, p. 78.〕〔Fitzgerald, p. 17.〕。この境界にある墓地は、キャンベラ地方にある墓地の中でも最古のものである。
ヨーロッパ人の存在感が増すに連れて、先住民の人口は天然痘あるいは麻疹を原因として、減っていった〔。
=== 首都決定 ===
ニューサウスウェールズ州の片田舎に過ぎなかったキャンベラがオーストラリアの首都に決定したのは、独立直前のことである〔Fitzgerald, p. 92.〕〔Gillespie, pp. 220–230.〕。当時のオーストラリアにおいて、同国の二大都市であるニューサウスウェールズ州の州都であるシドニーヴィクトリア州の州都であるメルボルンの間で、独立後の連邦の首都の座をめぐって〔Davison, Hirst and Macintyre, pp. 464–465, 662–663.〕、長い間、議論がなされていた。しかし、お互いが自らの都市を首都にしたいという意向を持っており、なかなか結論に至らなかった。その結果、最低でもシドニーから100マイル離れている〔場所に新しい首都を建設すべきという意見が持ち上がり、新首都建設の間、暫定的に、メルボルンが行政府の首都(capitalと言う言葉を用いることは無かった)とした〔Wigmore, p. 24.〕。新聞社ザ・ケアンビアン・エイジen)の創設者であるジョン・ゲール(en)は、'Dalgety or Canberra: Which?'というパンフレットを配布し、キャンベラが連邦政府の首都になるべきであることを主張した。1909年、政府の調査団を率いたチャールズ・スリヴェナーen)の調査結果が決定打となり、キャンベラが首都として選定される運びとなった〔Fitzgerald, p. 93.〕。ニューサウスウェールズ州政府は、連邦政府に、連邦首都地域という形で土地を割譲した〔。1911年5月24日 〔Fitzgerald, p. 100.〕、キャンベラの都市デザインの国際コンペが実施され、ウォルター・バーリー・グリフィンが提出した計画が採用された〔Gillespie, p. 178.〕〔Wigmore, pp. 160–166.〕。1913年、グリフィンは連邦首都のデザインと建設のディレクターに任命され、建設が開始された〔Wigmore, p. 63.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キャンベラ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.