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キョウトシチー (Kyoto City) は日本の競走馬。ライブリマウントやホクトベガとともに中央・地方交流黎明期を代表する1頭である。走った競馬場は中央・地方合わせて16場にも昇る。1994年から1999年まで6年連続で勝ち星を挙げており、息の長い活躍を見せた。 馬名の由来は京都+冠名。 馬齢は旧表記にて統一する。 == 戦績 == 1993年9月の新馬戦でデビューし2着。1994年4月の未勝利戦で5戦目にして初勝利を挙げたが、その後しばらくは条件戦でくすぶっていた。1995年12月のウインターステークス(現東海ステークス)で重賞初挑戦初勝利を挙げた。 1996年4月の名古屋大賞典で初の地方遠征を行い優勝、9月のシーサイドステークス(現・エルムステークス)で2度目の重賞制覇。さらに年末の東京大賞典でコンサートボーイを抑え優勝している。 1997年4月からはダートグレード競走の格付けが行われ、キョウトシチーは昨年にも増して積極的に各地へと遠征し、金沢の白山大賞典、浦和の浦和記念に勝利している。さらに1998年にはドバイワールドカップにも参戦した(結果は6着)。その後も交流競走を中心に活躍、1999年10月の白山大賞典5着を最後に現役を引退した。引退後は種牡馬となったが、現時点では産駒から活躍馬は出ていない。 2009年1月1日付けで用途変更により種牡馬としての供用が停止され、種牡馬引退となった。その後は北海道にある幾千世牧場で功労馬として繋養されていたが、2011年3月中旬頃から体調が悪化し、3月29日の夕方に死亡した〔キョウトシチー急死…中央・地方で重賞7勝 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キョウトシチー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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