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ギヨーム1世・ド・シャンリット : ウィキペディア日本語版 | ギヨーム1世・ド・シャンリット[ぎよーむ1せいどしゃんりっと]
ギヨーム1世・ド・シャンリット(Guillaume I Champlitte, ? - 1209年)はフランス・ブルゴーニュ出身の騎士。第4回十字軍に参加し、のちに初代アカイア公(在位:1205年 - 1208年)となった。 兄ユードと共に第4回十字軍に参加、モンフェッラート侯ボニファーチョに従う。1205年、テッサロニキ王となったボニファッチョの中央ギリシア遠征に参加した際、ペロポニソス半島に上陸し征服活動を開始したジョフルワ・ド・ヴィラルドゥアンの要請を受け、ボニファーチョの許可を得て半島征服に乗り出す。パトラ、メソニ、コロニなど沿岸の要塞を次々に攻略し、南西部メッシニア地方に侵攻、同年夏、クンドゥラの会戦に於いて殆ど唯一の地元勢力の抵抗を打ち破る。同1205年11月9日、教皇インノケンティウス3世は書簡の中でギヨームを「全アカイア公」と呼び、以後、これが正式な君主号となる。 ギヨームはアカイアを出身地フランスのような封建国家に作り上げた。ニヴレ家、ニューイ家など付き従ってきた騎士に領地を与え、12の男爵領を創設した。 1208年頃、一足先に本国に帰っていた兄ユードが死去したとの報せを受け、領地を相続する為、後事をヴィルアルドゥアンに委ねて帰国の途に就く。しかし翌1209年頃、その途上、南イタリアのプッリャにて客死した。
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