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クラ湾夜戦 : ウィキペディア日本語版
クラ湾夜戦[くらわんやせん]

クラ湾夜戦(クラわんやせん、〔アメリカ海軍側の呼称〕〔ポッター, 369ページ〕)は、太平洋戦争大東亜戦争)中、ソロモン諸島1943年7月5日 - 6日に生起した日本軍アメリカ軍との間の海戦のこと。なお、ここではクラ湾夜戦の前夜にクラ湾で行われた水上戦闘についても合わせて述べる。
==背景==
ソロモン諸島の戦いのうち、1942年11月30日から12月1日にかけての深夜に起こったルンガ沖夜戦で、カールトン・H・ライト少将(アナポリス1912年組)率いるは田中頼三少将の第二水雷戦隊の一隊によって重巡洋艦群が手痛い損害を受けた。南太平洋軍司令官ウィリアム・ハルゼー大将は第67任務部隊の立て直しを図り、12月10日付でヴォールデン・L・エインスワースをライトの後任として第67任務部隊司令官に据えた。軽巡洋艦を中心に再建された第67任務部隊は、エインズワースに率いられガダルカナル島から日本軍を追い出す最後の戦いの支援に任じた。特にニュージョージア島ムンダに新たに建設されていた日本軍飛行場に対する艦砲射撃を行った戦闘行動は「エインズワース・エクスプレス」とも呼称され、歴史家サミュエル・E・モリソンに「基地攻撃に関する長期間にわたるお手本」と評された。1943年3月に入り合衆国艦隊の再編成が行われて南太平洋部隊は「第3艦隊」と呼称されるようになり、水陸両用戦部隊以外は「第36任務部隊」と改められた。
エインズワース少将率いる第36任務部隊は「ザ・スロット」と呼ばれたニュージョージア海峡にてアーロン・S・メリル少将率いる第68任務部隊と交互に行動することになった。3月5日深夜から3月6日未明にかけて行われたビラ・スタンモーア夜戦ではメリル少将の第68任務部隊がコロンバンガラ島への輸送任務を終えて帰途についていた日本海軍の駆逐艦部隊をレーダー射撃による一方的な戦闘により撃沈した。
一方でソロモン方面にいた主な有力なアメリカ艦隊はこの二つだけであり、前年のガダルカナルを巡る戦闘で多数の航空母艦を撃沈もしくは大破させられたため1943年5月から10月までソロモン方面で行動可能なアメリカ海軍の正規空母はサラトガ1隻程度しかおらず航空戦力はもっぱら基地航空隊に頼っていた。このため6月から7月に限っては急遽イギリス海軍から借り受けた空母ヴィクトリアスがニュージョージア島の戦いを支援した。
6月30日、アメリカ軍はニュージョージア島ムンダ飛行場対岸のレンドバ島に上陸し占領した。
レンドバ島を占領する意味は、ここに重砲を据えてムンダ飛行場へ直接砲撃が可能になるということであり、いわば「不沈砲台」とするものであった〔ポッター, 359ページ〕。しかし、日本軍はその事を理解しておらず、わずか120名の守備隊はリッチモンド・K・ターナー少将率いる水陸両用部隊に一蹴されたのである〔ニミッツ、ポッター, 167ページ〕。引き続きレンドバ島の重砲の援護下、ニュージョージア島攻略部隊は続々と舟艇機動によってムンダ東方海岸に殺到する。ところが、攻略部隊はジャングル内で日本軍側の縦深防御に手を焼いて進撃は進まなかった〔。ウィリアム・ハルゼー大将の南太平洋部隊(第3艦隊〔ポッター, 368ページ〕)内部では、この戦いをちょうど80年前の南北戦争時のビックスバーグの包囲戦になぞらえ、包囲戦が終結した7月4日には同じように勝利を手にする事ができるだろうと考えていたが、この目論見も外れる形となった〔ポッター, 360ページ〕。
一方の日本軍側は、6月29日深夜に呂109がレンドバ島を目指す輸送船団を発見し、これを受けて第八艦隊鮫島具重中将)は第三水雷戦隊(秋山輝男少将)に対してレンドバ島突入を命じる〔『第三水雷戦隊戦時日誌』 C08030105800, pp.11〕〔木俣『日本水雷戦史』316ページ〕。秋山少将は本来の戦隊旗艦である軽巡洋艦川内〔『第三水雷戦隊戦時日誌』 C08030105800, pp.5〕に代え、3ヶ月前に就役した新鋭の駆逐艦新月に将旗を翻し、望月皐月夕凪を率いてレンドバ島沖に向かった〔。これとは別に天霧初雪長月三日月および水無月からなる一隊がレンドバ島近海に先行して輸送船団を捜し求めていた〔。しかし、スコールに見舞われて敵を発見することが出来ず、新月はブインに、その他の駆逐艦はブカ島にそれぞれ帰投した〔。第三水雷戦隊は翌7月2日にも再度レンドバ島突入を行う。この時は軽巡夕張、夕凪、三日月からなる陽動隊を別に編成し、旗艦新月以下天霧、初雪、長月、皐月、望月の6隻は7月2日16時にブインを出撃して、日付が7月3日になろうとする頃にレンドバ島沖に到着〔『第三水雷戦隊戦時日誌』 C08030105800, pp.12〕。この時もまた敵艦艇を発見することはできず、レンドバ島に対して艦砲射撃を行い引き揚げた〔。
レンドバ島占領は、第八方面軍今村均中将)にコロンバンガラ島の防衛強化の重要性を再認識させた〔木俣『日本水雷戦史』317ページ〕。
3日にムンダの日本軍南東支隊司令部で会議が開かれ、陸軍は海軍に「ニュージョージア島防衛にこだわった責任を取って支援部隊を送れ」と要求したが、海軍からは「ラバウルの航空部隊は(先月末のルンガ沖航空戦により)消耗しており、艦隊は燃料不足で出撃できず」と返答された。さらに陸軍の佐々木支隊長がレンドバ島へ逆上陸して重砲を破壊することを提案し海軍に協力を求めたが、上陸に必要な大発は米軍の砲撃で破壊されており実行は不可能だった。
ニュージョージア諸島は喉元に刃物を突きつけられた状態となって輸送が困難になることが予想されたため、防衛強化のために速射砲と陸兵1,300名、大発15隻分に相当する物件をコロンバンガラ島に輸送する事とした〔『戦史叢書96』227ページ〕。輸送は二度の鼠輸送によって行われることとし、7月4日と7月5日に駆逐艦4隻ずつを送り込むことになった〔『第三水雷戦隊戦時日誌』 C08030105800, pp.13〕。一方、アメリカ軍側もムンダ攻撃の支援のため、ニュージョージア島のクラ湾に面した地域に対しても上陸作戦を行う事となり、アメリカ第37歩兵師団三個大隊を乗せた高速輸送艦を主体とする輸送船団と、ヴォールデン・L・エインスワース少将率いる火力支援担当の第36.1任務群を送り込む事となった〔木俣『日本水雷戦史』318ページ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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