翻訳と辞書
Words near each other
・ クリスティアン2世 (アンハルト=ベルンブルク侯)
・ クリスティアン2世 (ザクセン選帝侯)
・ クリスティアン2世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト公)
・ クリスティアン3世
・ クリスティアン3世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)
・ クリスティアン4世
・ クリスティアン5世
・ クリスティアン6世
・ クリスティアン7世
・ クリスティアン8世
クリスティアン9世
・ クリスティアンサン
・ クリスティアンスン
・ クリスティアンソン
・ クリスティアンヌ・ルグラン
・ クリスティアン・A・ハーター
・ クリスティアン・アウグスト
・ クリスティアン・アウグスト (アンハルト=ツェルプスト侯)
・ クリスティアン・アウグスト (プファルツ=ズルツバッハ公)
・ クリスティアン・アウグスト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

クリスティアン9世 : ウィキペディア日本語版
クリスチャン9世 (デンマーク王)[くりすちゃん9せい]

クリスチャン9世(, 1818年4月8日 - 1906年1月29日)は、リュクスボー朝初代のデンマーク国王(在位:1863年11月15日 - 1906年1月29日)。グリュックスブルク家は前王家オレンボー家の遠い支族で、男系の先祖をデンマーク=ノルウェークリスチャン3世(在位:1534年 - 1559年)にたどることができる。
== 生涯 ==
グリュックスブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルムの四男として生まれる。母はヘッセン=カッセル方伯カールの娘ルイーゼ・カロリーネ。1831年に幼くして父を亡くした後、フレゼリク6世の王妃で母方の伯母にあたるマリーの後見の下に育った。
1842年、母と同じヘッセン=カッセル家出身で又従姉に当たるルイーゼと結婚したが、名家の生まれとはいえ財力がなかったため、デンマーク王室から無料で借りたコペンハーゲン市内の小さな家に一家で暮らした。子女の教育は家庭教師を雇う余裕がなかったため、夫妻が自ら行った。
ルイーゼの母ルイーセ・シャロデはデンマーク王クリスチャン8世の妹であった。またクリスチャン自身も、デンマーク王フレゼリク5世の女系の曾孫の一人であった。そのため、1852年の王位継承法で嗣子のいないデンマーク王フレゼリク7世の継承者に選ばれ、同年のロンドン議定書で国際的にも承認された。そして1863年にフレゼリク7世の死去によって即位した。
即位後すぐに第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に巻き込まれ、1864年プロイセンオーストリアシュレースヴィヒホルシュタイン両公国に加えてザクセン=ラウエンブルク公国を割譲した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリスチャン9世 (デンマーク王)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.