翻訳と辞書
Words near each other
・ クリストフ・スパイヒャー
・ クリストフ・スピッヒャー
・ クリストフ・スミヨン
・ クリストフ・ソシンスキー
・ クリストフ・ダウム
・ クリストフ・ダルンスタット
・ クリストフ・ツー・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン
・ クリストフ・ツー・ドーナ=シュロディエン
・ クリストフ・ティオゾ
・ クリストフ・ティオーゾ
クリストフ・デマンツィウス
・ クリストフ・デマンティウス
・ クリストフ・デュガリー
・ クリストフ・ドゥッフナー
・ クリストフ・ドミニシ
・ クリストフ・バラティエ
・ クリストフ・パトリス・ルメール
・ クリストフ・ビーマン
・ クリストフ・ビーラー
・ クリストフ・ピユー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

クリストフ・デマンツィウス : ウィキペディア日本語版
クリストフ・デマンティウス

ヨハン・クリストフ・デマンティウスデマンツィウスとも)(Johann Christoph Demantius, 1567年12月15日 - 1643年4月20日)はボヘミア出身のドイツ作曲家・音楽理論家・詩人。クラウディオ・モンテヴェルディと完全に同世代で、ドイツのルター派教会音楽における、ルネサンス音楽からバロック音楽への過渡期を代表する作曲家。音楽理論家としては、ドイツ語による最初の音楽事典を編纂したことで有名。
==生涯==
ボヘミア北部のライヒェンベルクに生まれ、おそらく地元で早期教育を受けたと思われるが、生い立ちに関する証拠文書はほとんど入手できない。1590年代までにバウツェンに移って教科書を執筆し、1593年にはヴィッテンベルク大学より学位を得る。1594年ライプツィヒに移転、1597年ツィッタウ楽長職を得る。同地でおそらくメルヒオール・フランクら青年を指導したらしい。
次にフライベルク大聖堂の楽長職に就任、実質上の終身楽長となる。地位を得ることはできたものの、三十年戦争によって生活はめちゃめちゃに壊され、4度の結婚でもうけた子供たちのほとんどが、戦争によって引き起こされた困難のために早死にした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クリストフ・デマンティウス」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.