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クルアーン( )あるいはコーランは、イスラーム教(イスラーム)の聖典である。イスラームの信仰では、唯一不二の神(アッラーフ)から最後の預言者に任命されたムハンマドに対して下された啓示と位置付けられている。ムハンマドの生前に多くの書記によって記録され、死後にまとめられた現在の形は全てで114章からなる。 クルアーンは、読誦して音韻を踏むように書かれている。「クルアーン」という名称はアラビア語で「詠唱すべきもの」を意味し、アラビア語では正確には定冠詞を伴って「アル=クルアーン」と呼ばれる。 英語では、Quran(Qurʾan)または、Koranと表記されるが、「コーラン」は、回教(回紇(ウイグル)に由来))と共に中国語「古蘭(または可蘭)」に由来する。 == クルアーンの成立と正典化 == クルアーンの成立経緯は、クルアーン自身とハディース(預言者ムハンマドの言行録)、およびムスリム(イスラム教徒)の伝承によれば、以下の通りである。 アラビアヒジャーズ地方の町マッカ(メッカ)の商人であったムハンマドは、40歳ほどであった西暦610年頃に、迷うところがあってしばしばマッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していた。ある日の瞑想中に突然、大天使ジブリール(ガブリエル)が彼のところにあらわれ、神から託された第一の啓示を与えた(この最初の啓示時期はラマダーン月のライラトルカドルという説がある〔シンガポール日本人会 知ろう!学ぼう!楽しもう!21 〕)。 はじめムハンマドはこれをジン(魔人)に化かされたものかと思い怖れたが、やがてこれを真に神から与えられた啓示と信じて、自ら啓示を受け取って人々に伝える使徒としての役割を務めることを決意した。そうして啓示はムハンマドが死ぬまで何回にも分けて下された。 ムハンマド自身は文盲であったため、彼を通じて伝えられた啓示はムハンマドと信徒たちの暗記によって記憶され、口伝えで伝承され、また書記によって記録され伝承された。〔また、ムハンマドの生前から彼に直に接した信徒たちによってに啓示されたクルアーンの一部は木の板や棕櫚の葉、石などに文字としてその都度(バラバラではあるが)記録されていたことはハディースなどでも伝えられている。〕しかし後にムハンマドに直に接し啓示を記憶した者たちが虐殺されはじめ、記憶を留めるためにクルアーンを一冊にする作業がはかられ始めた。このように書物の形にまとめられたクルアーンをムスハフという。 まとめられる以前は、イスラーム共同体全体としての統一した文字化が行われなかったため、次第に伝承者や地域によって内容に異同が生じたり、伝承者による恣意的な内容の変更や伝承過程での混乱が生じはじめて問題となっていた。 これに対し危機感が抱かれ、初代正統カリフのアブー・バクルの時期(632年~634年)に、ムハンマドの秘書を務めたザイド・イブン=サービト(英語版)によって、初のクルアーンの編纂が行われ、続いて、第3代正統カリフのウスマーンがクルアーンの正典化を命じ、650年頃、再びザイド・イブン=サービトを中心として、クルアーンの編纂が行われて1冊のムスハフにまとめられた。ウスマーンは公定ムスハフを標準クルアーン(ウスマーン版と呼ばれる)とし、それ以外のムスハフを焼却させた。このためウスマーン版を除くムスハフは現在までのところ発見されておらず、クルアーンに偽典や外典のたぐいは存在しないとされる。 1972年に発見されたには、ウスマーン版以前のものと考えられるクルアーンの断片が含まれており、従来、ウスマーン版以外のクルアーンの内容を伝えるものとして唯一のものとされてきた。しかし、2015年になってイギリス・バーミンガム大学に保管 されてきたに使われている羊皮紙を放射性炭素年代測定法で測定したところ、ムハンマドが生きていた時代に重なる568年~645年のものであることが判明し、ウスマーン版以前のものとしては現存する最古の写本であると考えられている〔コーラン 世界最古の写本か 英で発見 、NHK科学文化部ブログ、2015年7月23日、同年8月5日閲覧〕。この写本は2ページ現存しており、スーラの第18章から20章の一部が書かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クルアーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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