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クルディスタン(クルド語 )は、トルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部とアルメニアの一部分にまたがり、ザグロス山脈とタウルス山脈の東部延長部分を包含する、伝統的に主としてクルド人が居住する地理的領域のこと〔"Kurdistan ", ''Encyclopædia Britannica'', 2008, Encyclopædia Britannica Online.〕。チグリス・ユーフラテス川の中上流域を中心に広がる山岳地域。面積は約392,000km2。 「クルド人の地/国」を意味する。ペルシア語ではコルデスターンといい、イランには同名の州コルデスターン州が存在する。イラクでは自治区のクルディスタン地域、シリアでは自治区のロジャヴァを構成する。 クルディスタンという名称は、12世紀にセルジューク朝のアフマド・サンジャルがエルデランに相当する地域(今日のイランのコルデスタン州とほぼ一致)に設置した州の名前として、はじめて使われた。〔Kerim Yıldız, Irak Kürtleri, Belge Yayınları, İstanbul, Haziran 2005, ISBN 975-344-329-3, s. 21-22.〕 == 歴史 == === 古代 === 紀元前3000年頃、シュメールの楔形文字の粘土板に"Kar-da"ないしは"Qar-da"と呼ばれる土地の名前が現れる。はこれを「クルド」のもっとも初期の形であると示唆しており、その説に倣うならばこれが最も早いクルドに関する記録となる〔Martin J. Dent, Identity Politics: Filling the Gap Between Federalism and Independence page: 99, Published 2004 Ashgate Publishing, Ltd., 232 pages, ISBN 0754637727〕。 ほとんどのクルド人は古代 の(Qurti) にその起源を求めることができる。グティウム王国は楔形文字での記録では紀元前2400年頃に存在し、その首都は(Arraphkha, 現在のキルクーク)であった〔William Gordon East, Oskar Hermann Khristian Spate, The Changing Map of Asia: A Political Geography, 1961 (436 pages) , p. 105.〕。 今日、クルディスタンとして知られている地域はペルシアとメソポタミアの間、ヴァン湖の南と南東の高山地域のことである。ここは、クセノポンの時代以前よりクルド人が支配しており、()の名で知られる国が存在した〔http://www.gutenberg.org/files/16167/16167-h/raw7a.htm〕。 古代ローマはその絶頂時に、クルド人が住んでいる広大な地域、特に中東の西と北のクルド人地域を支配した。のようなクルド人王国は、ローマ帝国の封建州となっていた。紀元前189年から384年、古代カルドゥチは北メソポタミアを支配した。この王国は (Tigranocerta) の東に存在した。トルコの南東にある今日のディヤルバクルの東側および南側に相当する。カルドゥチは、紀元前66年にローマ共和国の封建州となり、384年までローマと同盟状態にあった。 「クルドの地」の語が初期の記録に現れた一例として、シリア語でのキリスト教の文章がある。この文章は中東でのの様なキリスト教の聖者を記述している。サーサーン朝のマルズバンがアブディショに出身の地を聞いた際に、彼は両親がアッシリアの村ハザ (Hazza) の出身であると答えた。しかし、両親は異教徒によりハザから追い出され、タマノン (Tamanon) に定住した。そこは、アブディショによると「クルドの地」であった。この村は、現在のイラクとトルコの国境の北、現在のアルビールの南西12kmに存在する。同じ文章の他の部分ではハブール川地域が「クルドの地」と記載されている〔J. T. Walker, ''The Legend of Mar Qardagh: Narrative and Christian Heroism in Late Antique Iraq'' (368 pages) , University of California Press, ISBN 0520245784, 2006, pp. 26, 52.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クルディスタン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kurdistan 」があります。 スポンサード リンク
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