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クレティアン・ド・トロワ(クレチヤン・ド・トロワ、Chrétien de Troyes)は12世紀後半のフランスの詩人で、騎士道物語(ロマンス)をうたうトルヴェール(吟遊詩人)として評判を博した。彼の生涯に関してはほとんど知られていないが、フランス北部トロワ(Troyes)の出身か、少なくともトロワになんらかの親しい関係があると見られている。彼は1160年から1181年までの間、シャンパーニュ伯アンリ1世の夫人でフランス王ルイ7世とアリエノール・ダキテーヌの娘、マリー・ド・シャンパーニュのパトロネージを受けて宮廷に仕えた。 クレティアンのアーサー王をうたった物語詩は、中世ヨーロッパ文学の最良の成果といえる。また、彼の詩がアーサー王物語や聖杯伝説の変容と普及に果たした役割は非常に大きい。 == 作品 == 8音節の対句で韻を踏んだ(平韻八音綴)、5つの主要な物語詩が良く知られている。 * エレックとエニード (Erec et Enid) 1170年ごろ * クリジェス () 1176年ごろ * 獅子の騎士イヴァン () 1177年から1181年の間に成立 * 荷車の騎士ランスロ () 1177年から1181年の間に、上記の作品と並行して成立 * 聖杯の騎士ペルスヴァル () 1181年から1190年に書かれ、未完のまま終わる 最後の騎士道物語、『聖杯の騎士ペルスヴァル』は、彼が晩年に仕えていたフランドル伯フィリップのために作られた。彼は9,000行を書き上げたところで終わり、様々な才能の4人の後継者達が続きとなる計54,000行(「4つの続編」として知られる)を書き加えた。同様に、『ランスロ』の最後の1,000行はクレティアンの書記であったゴドフロワ・ド・レイニ(Godefroi de Leigni)が書き、クレティアンが編集している。『ペルスヴァル』の場合はある続編執筆者が「詩人は死のために物語を完成させることができなかった」と書いているが、『ランスロ』の場合はクレティアンが最後を書かなかった理由は不明である。結婚生活の愛を描くことにかけては中世文学最高の作家であったクレティアンには、『ランスロ』におけるグィネヴィアとランスロの姦通についての題材をどうしても書くことができなかったという憶測もある。 その他、2編の小さな詩が彼の作に帰せられている。信心深い内容の物語、『ギヨーム・ダングレテール(Guillaume d'Angleterre、イングランドのウィリアム)』は彼の作品とされていたが疑問も多い。もう一つはオウィディウスの『変身物語』に基づく彼の四つの有名な詩のうち唯一現存する『ピロメナ(Philomena)』である。『クリジェ』の序文ではクレティアンはオウィディウスの翻訳について特筆し、さらにコーンウォールのマルク王やイゾルデについての彼の詩についても述べている。イゾルデとはおそらくトリスタンとイゾルデの伝説のことであろうが、トリスタンについて触れていないことは興味深い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クレティアン・ド・トロワ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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