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クレイジー・コールズ(''Crazy Calls'')は、1992年から1995年にかけて活動していたJリーグ、浦和レッドダイヤモンズのサポーター集団である。通称「CC」または「クレコー」。「レッズ・クレイジー・コールズ」(''Reds Crazy Calls'')と表記される場合もある。男性を中心にした硬派な応援スタイルで今日の熱狂的な浦和サポーターの基礎を作り上げた〔和田、24頁〕。 == 概要 == 1992年当時大学生だった吉沢康一が同年9月27日のJリーグカップ・横浜マリノス戦で仲間を集ったのが始まりである。吉沢には「自然発生的な応援ではなく、人数を集めて結束させサポートの力でチームを勝利させる」「プロサッカーにはそれに相応しい演出が必要。自分達がレベルの高い応援を作り上げれば、それにつられて観客も集まりクラブの財政も豊かになる」とのポリシー〔大住、66-68頁〕があり、同年12月23日に行われた天皇杯準決勝の読売ヴェルディ戦では、リーグNo.1の人気チームを上回るパワフルな応援を繰り広げ〔大住、70-71頁〕後のCCの応援スタイルの原型を作り上げた。 翌1993年に正式にクレイジー・コールズと命名。同年5月にJリーグがスタートするにあたり硬派な応援スタイルを推し進め他クラブのサポーターとの差別化を図ることにした〔清水、71-85頁〕。吉沢らはティーンエイジの男性をターゲットに、彼らが興味を持つ文化に共通するテーマである「不良性」を掲げ、「不良の男」を演出することでメディアに登場する戦略を採用した〔〔。この際、男性にのみターゲットを絞り女性は排除する姿勢を執ったが、これについて吉沢は「日本の流行の歴史を振り返ると、それを作るのも終わらせてしまうのも女性であるからだ」としている〔〔。 CCは「不良」を志向したファッションやロック音楽やパンク・ロックを基調としたコールやチャントで人々を惹きつけ〔〔清尾、162-163頁〕、実際の試合では状況に応じた様々な応援方法で選手を鼓舞し、スタジアムの雰囲気を盛り上げた〔〔大住、61-63頁〕。 その反面、発炎筒騒動やサポーター同士の暴力事件、公序良俗に反するようなコールや示威行為など問題行動を頻繁に起こした〔。一部メディアからはフーリガンと紹介され、その行動に不満を持つ者もいたが、CCに代わってサポーターをリードしようとする集団は存在せず、応援はCCを発信源として行われ他の集団もこれに同調していた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クレイジー・コールズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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