翻訳と辞書
Words near each other
・ クレイジーワールド・オブ・アーサー・ブラウン
・ クレイジー・イン・ラブ
・ クレイジー・イン・ラヴ
・ クレイジー・カット
・ クレイジー・キム
・ クレイジー・キャッツ
・ クレイジー・クライマー
・ クレイジー・クライマー2
・ クレイジー・コールズ
・ クレイジー・セーラー・ホワイト
クレイジー・タイガー・キム
・ クレイジー・ダイアモンド
・ クレイジー・ドッグス
・ クレイジー・ドライブ
・ クレイジー・ナイト
・ クレイジー・ハート
・ クレイジー・フォー・ユー
・ クレイジー・フォー・ユー (マドンナの曲)
・ クレイジー・フォー・ユー (曖昧さ回避)
・ クレイジー・フロッグ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

クレイジー・タイガー・キム : ウィキペディア日本語版
クレイジー・キム

クレイジー・キムCRAZY KIM1974年10月4日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は金山 俊治(かなやま としはる)。熊本県荒尾市出身。第27代日本スーパーウェルター級王者。
第26代OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王者。初代ABCOスーパーウェルター級王者。
第13代OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者。元OPBF東洋太平洋スーパーミドル級暫定王者
初代ABCOスーパーミドル級王者。OPBF3階級制覇王者でもあり、ABCO2階級制覇王者でもある。
OPBF王座とABCO王座を同時に保持し複数階級制覇王者を果たした稀な人物でもある。
ヨネクラボクシングジム所属。東海大学付属第二高等学校法政大学出身。元在日韓国人
現在はNo.1 CHAMPION SCHOOLの会長を務める。
== 来歴 ==
1991年インターハイで優勝。翌1992年も高校選抜優勝とアマチュア時代も実績を残す。大学でも王者となり、アマチュアエリートとして6回戦からのデビューとなった。
1997年5月27日、松下文昭戦にてプロデビュー。
1999年2月15日、5連勝で大東旭が持つ日本スーパーウェルター級王座に初挑戦したが、10回判定負け。
2000年1月15日、河合丈矢が持つ日本スーパーウェルター級王座に挑戦したが、10回判定負け。
2001年2月12日、吉野弘幸が持つ日本スーパーウェルター級王座に挑戦したが、10回KO負け。
2002年10月10日、石田順裕との日本スーパーウェルター級暫定王座決定戦で勝利し、日本王座4度目の挑戦にして暫定ながら初戴冠に成功した。
2003年2月20日、日本スーパーウェルター級正規王者河合丈矢の王座返上に伴い正規王者となった。
2003年7月15日、ナデール・ハムダンが返上し空位となったOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座決定戦を呉炳哲韓国)と争い2回KO勝ちを収め王座獲得に成功、スーパーウェルター級2冠を果たした。
2004年2月24日のチャンピオンカーニバルでの日本スーパーウェルター級王座の3度目の防衛戦からリングネームを本名からクレイジー・キムに変更。
同年12月13日、アデ・アルフォンスインドネシア)を倒しOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座の初防衛に成功した。
2005年10月20日、ジャイペット・キャットムアンカーン(タイ)とのABCOスーパーウェルター級王座決定戦を制し、スーパーウェルター級3冠となった。
2006年1月24日、川崎タツキを倒し、日本王座は6度目、OPBF王座は3度目の防衛を果たし、同年9月19日、加山利治日高和彦石田順裕前田宏行らから防衛していた日本スーパーウェルター級王座を返上。
2006年10月26日、後楽園ホールでのノンタイトルで、WBA世界スーパーウェルター級8位のハビエル・アルベルト・ママニアルゼンチン)に10回KO負けを喫した。
2007年7月17日、3階級上となるOPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者ヒース・ステントン(オーストラリア)に挑戦。判定で勝利しOPBF2階級制覇を達成。
2007年7月24日、OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王座獲得に伴いOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座を返上した。
2007年11月20日、後楽園ホールOPBF東洋太平洋スーパーミドル級暫定王座決定戦およびABCOスーパーミドル級王座決定戦でズルフィカル・ジョイ・アリフィジー)と対戦し6回KOで勝利し日本人初のOPBF3階級制覇およびABCO2階級制覇を達成した。
同日、ABCOスーパーミドル級王座獲得に伴いABCOスーパーウェルター級王座を返上した。
2007年11月27日、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級暫定王座を返上。
2008年3月18日、元OPBF東洋太平洋クルーザー級5位ビトリ・ナタワケとのノンタイトル戦を後楽園ホールで行い、2回KO勝ち。
2008年7月30日、オーストラリアニューサウスウェールズ州ニューカッスルで前WBA世界スーパーミドル級王者アンソニー・ムンディンとの試合で、10回判定負けを喫し、自身が保持していたOPBF東洋太平洋ライトヘビー級を剥奪された。通常であれば剥奪後のレーティングは剥奪された階級であるライトヘビー級となるが、OPBF東洋太平洋スーパーミドル級3位にランクされた。
2008年11月、ABCOスーパーミドル級王座を返上、同月、現役を引退した。
2009年10月10日、地元・熊本県荒尾市にNo.1 CHAMPION SCHOOLを開設した〔長洲町出身の世界王者・石田順裕選手、荒尾のジムでトレーニング 毎日新聞熊本版 2010年8月5日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クレイジー・キム」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.