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クレイジー・ホース記念碑(Crazy Horse Memorial)は、アメリカ合衆国サウスダコタ州の西部ブラックヒルズの山中にある、巨大な岩面彫りの彫刻。アメリカインディアンの、オグララ・ラコタ・スー族の戦士、「タシュンケウィトコ」(クレイジー・ホース)をイメージしている。 ==概要== クレイジー・ホースは米軍や白人入植者の侵略からラコタ族の領土や、聖地ハパ・サバ(ブラックヒルズ)を守るために戦った勇敢なラコタ族の戦士のひとりで、カスター中佐率いるアメリカ陸軍第7騎兵連隊を全滅させた1876年の「リトルビッグホーンの戦い」などで知られている。 制作者である彫刻家コルチャック・ジオルコウスキーは、「記念碑」建設のきっかけは、「1947年に、ラコタ族のヘンリー・スタンディング・ベア(Henry Standing Bear)が『わしらレッド・マン(インディアン)にも偉大な英雄がいることを白人達に知って欲しい。ラシュモア山(アメリカ合衆国大統領の巨大な顔の彫刻がある)よりも大きな、クレイジー・ホースの彫刻を造ってくれないか』と依頼した事に始まった」と説明している。 1972年にレイムディアーやラッセル・ミーンズらラコタ族伝統派がジオルコウスキーの家を訪ねた際に、ジオルコウスキーは「記念碑建設」についてのスタンディングベアとの覚書らしきものを見せている〔Lame Deer, John (Fire) and Richard Erdoes. 『Lame Deer Seeker of Visions. Simon and Schuster』, New York, New York, 1972. Paperback〕。またこの際、ジオルコウスキーはこの事業が金儲けのためのものであることをインディアンたちに明言している。 以後、コルチャックはクレイジー・ホースの彫刻制作に専念していった。1982年、コルチャックが74歳で亡くなるが、その後もコルチャックの家族がその遺志を継いで彫り続けた。コルチャックには5人の息子と5人の娘がいて、現在も遺志を受け継ぎ、クレイジー・ホースの彫刻が完成するまで彫り続けている。連邦政府から支援すると言う申し出があったが、コルチャック一家はそれを断り、非営利団体に運営を任せた。政府に任せると、将来何らかの理由で計画が中断される可能性があり、コルチャック一家はそれを恐れたのである。 「クレイジー・ホース記念碑」は未完成で、現在も製作中である。1998年にはついに顔の部分が完成した。全て完成するとクレイジー・ホースが馬に乗り、指を差している姿で、高さ170m、長さ195mと世界最大の彫像になる。制作方法は、主に爆薬による粉砕彫刻である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クレイジー・ホース記念碑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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