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クレマンス・ド・オングリー : ウィキペディア日本語版
クレマンス・ド・オングリー

クレマンス・ド・オングリー(Clémence de Hongrie, 1293年 - 1328年10月12日)は、フランスルイ10世の2度目の王妃。クレマンス・ダンジュー(Clémence d'Anjou)とも呼ばれる。
ハンガリー王位請求者カルロ・マルテッロ・ダンジョナポリカルロ2世の長子)と妃クレメンティーネ(神聖ローマ皇帝ルドルフ1世の娘)の娘として生まれた。兄はハンガリー王カーロイ1世。ルイ10世の従弟でヴァロワ朝初代の王となるフィリップ6世は母マルグリット・ダンジューがカルロ・マルテッロの妹であり、クレマンスにとってもフィリップ6世は従兄弟となる。
1315年、不貞を犯して幽閉されていた最初の王妃マルグリット・ド・ブルゴーニュが獄死したため(ルイの再婚を可能とするため暗殺されたとも言われている)、同年8月にクレマンスと結婚した。
1316年6月、妊娠中のクレマンスを残してルイは急死した。王弟フィリップが摂政となり、出生に疑惑をもたれる幼い王女ジャンヌの即位を阻止し、クレマンスの男児出生を待った。同年11月、出生と同時に嬰児がジャン1世となったが、わずか4日間しか生きられなかった。そのため、摂政であった王弟がフィリップ5世として即位した。
クレマンスは宮廷を去ってアヴィニョンへ向かった。1318年には、エクス=アン=プロヴァンスドミニコ会修道院へ隠遁した。数年後にパリへ戻ったが、1328年に35歳で亡くなった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クレマンス・ド・オングリー」の詳細全文を読む



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