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クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルン : ウィキペディア日本語版 | クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルン
クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルン(Clemens August I. Ferdinand Maria Hyazinth von Bayern, 1700年8月16日 - 1761年2月6日)は、ケルン大司教にして選帝侯。ドイツ騎士団総長。その他いくつかの領主司教を兼ねる。 父はバイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエル、母はポーランド王ヤン3世の娘テレサ・クネグンダ・ソビエスカ。アストゥリアス公ヨーゼフ・フェルディナントは異母兄、選帝侯で神聖ローマ皇帝にもなったカール・アルブレヒト(カール7世)は同母兄、スペイン王フェリペ5世は従兄に当たる。 == 生涯 ==
=== 幼年期 === 当時父がスペイン領ネーデルラント総督であったためブリュッセルで生まれる。しばらくして本領バイエルンに戻ったが、スペイン継承戦争の展開の結果バイエルンはオーストリアの占領下となり父は逃亡、クレメンス・アウグストは他の兄弟ともどもオーストリアの捕虜として連行され、軟禁生活を送った。戦争終結によってようやくバイエルンに戻ったのもつかの間、次男・3男を高位聖職者にして教会領主の地位に送り込みたい父の意向によって、兄フィリップ・モーリッツと共にローマに留学する。
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