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メディアにおけるクロスオーナーシップとは、新聞社が放送業に資本参加するなど、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼすことをいう。アメリカではこれを排除するため、1920年代にワシントン・ポストとデトロイト・ニュースが所有するラジオ局を別都市で入れ替えている。 == 日本における現状 == 本来、マスメディア集中排除原則の観点から、新聞業と放送業などメディア同士は距離を持つべきとされる。 しかし、日本では1952年に設立され、翌1953年に民放テレビ局最初のテレビ局として放送を開始した日本テレビからこの傾向がある。同局は読売新聞グループの支配下にあり、経営面、放送内容などに読売新聞社の意向が極度に反映されることとなった。さらに当時の読売新聞社オーナーで日本テレビの初代社長も兼務した正力松太郎は自由民主党政権と近く、多くのテレビ局が新聞社の子会社として設立される方式を確立していった。 一般的に、テレビ局が新聞社の系列の元に縦割りとなった原因は、1975年に行われたTBS(毎日新聞社系)の系列だった朝日放送(朝日新聞社系)と、日本教育テレビ(現テレビ朝日)の系列だった毎日放送(毎日新聞系)とのネットチェンジ(腸捻転解消)だとされる。これによりキー局と地方局、新聞社の関係が同系列で整理された。 また、テレビ放送が大都市圏から日本全国に拡大する過程で、系列の異なる新聞社が地元企業などと共同で出資したローカル局も新聞社とキー局が筆頭株主になるということで新聞社・キー局の出先機関と化した。ローカル局は各県に複数設立されたが〔最少の宮崎県や沖縄県などでも2局存在する。また、佐賀県は1局(サガテレビ、FNN系列)のみだが、隣県の福岡県のテレビ局の視聴が容易なため、民放の独占化は起こらない。〕、多くの県では日中戦争から太平洋戦争(第二次世界大戦)へと戦争が激化した1940年代前半に行われた戦時統合で成立した「一県一紙」の地方紙が他を圧する取材網を持ち、新規テレビ局はその地方紙に依存した方が取材の容易さやコストなどの点でも有利なため、県単位でのクロスオーナーシップが各地で成立していった。 現在は建前上は独立企業である放送局(特にローカル局)も一種の子会社レベルの存在意義である現状である。しかも、クロスオーナーシップの影響で新聞社>キー局>ローカル局という力関係ができ、新聞・テレビともお互いに方針に逆らいにくいという弊害が出ている。 日本では総務省令(放送局に係る表現の自由享有基準)にクロスオーナーシップを制限する規定があるが、一つの地域でテレビ・ラジオ・新聞のすべてを独占的に保有する状態を禁止する条項であるため、複数のテレビ・ラジオ局がある地域で一つのメディアグループがこの3つの媒体をすべて所有する事は事実上妨げられない。そのため、フジ・メディア・ホールディングスがフジテレビジョン・ニッポン放送(ラジオ局)・産業経済新聞社(産経新聞)を、日本経済新聞社がテレビ東京と日経ラジオ社(ラジオNIKKEI=短波放送ラジオ局)を所有する事が可能となっていた。 。日本では「クロスオーナーシップ」が温存されているが、2009年9月に成立した鳩山由紀夫内閣の原口一博総務大臣(民主党)が2010年1月13日の文化通信社のインタビューや、2010年1月14日の外国特派員協会での会見で「クロスオーナーシップ」禁止の法制化を行うと発言した。しかし、これに対し各新聞社は強く反発し、日本新聞協会はインターネットの普及などでメディアが多様化した事などを理由にクロスメディア規制の撤廃を求める意見書を同年3月1日に総務省へ提出した〔総務省ホームページより、2010年3月1日付 「クロスメディア所有のあり方に関する意見」 〕。原口総務相はこれを押し切り、3月5日には事実上形骸化している現行のクロスオーナーシップ規制について3年後の見直し規定を盛り込んだ放送法や電波法などの改正法案が閣議決定されたが、同年6月に鳩山政権は総辞職して菅直人内閣が成立し、7月の参議院選挙で民主党が大敗して与党が過半数を失うねじれ国会となり、法制化は目処が立たなくなった。9月に成立した菅改造内閣では原口が総務大臣を退任し、後任の片山善博はクロスオーナーシップ規制の見直し条項の削除を行ったため、11月26日に成立した(改正)放送法ではクロスオーナーシップ規制の強化が見送られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クロスオーナーシップ (メディア)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Media cross-ownership in the United States 」があります。 スポンサード リンク
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