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バンコク(, )は、タイ王国の首都である。人口8,249,117人(2010年)、面積1568.737km²。都市圏人口は14,565,520人にものぼり、東南アジア屈指の世界都市である。 == 名称 == バンコクの儀式的正式名称は長く、下記のとおりである。 : :クルンテープマハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッタラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーンアワターンサティット・サッカタットティヤウィサヌカムプラスィット :Krungthepmahanakhon Amonrattanakosin Mahintharayutthaya Mahadilokphop Noppharatratchathaniburirom Udomratchaniwetmahasathan Amonphimanawatansathit Sakkathatiyawitsanukamprasit 〔文字通りに直訳すると、「天人の都、偉大なる都城、帝釈天の不壊の宝玉、帝釈天の戦争なき平和な、偉大にして最高の土地、九種の宝玉の如き心楽しき王の都、数々の大王宮に富み、神が権化して国王住みたまう、帝釈天が建築神ヴィシュヌカルマをして造り終えられし都」。(フジテレビ番組「トリビアの泉」より)〕 あまりにも長いため、タイ国民は最初の部分をとり『クルンテープ』と呼んでいる。 タイ語は後置修飾が基本であるので、意味は後ろの節から訳し、以下のようになる。 :イン神(インドラ、帝釈天)がウィッサヌカム神(ヴィシュヌカルマ神)に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の不滅の宝石のような、偉大な天使の都。 参考までにハース方式の発音記号(声調略)を挙げると、以下のようになる。なお、太字はラーイ詩形によって韻が踏んであるところである。 : この儀式的名称はラーマ1世が遷都の際つけられた。後のラーマ4世は「イン神の卓越した宝石」すなわちボーウォーンラッタナコーシン(,)の部分をアモーンラッタナコーシン (, ) すなわち「イン神の不滅の宝石」と変更させた。 その後、1916年いわゆるムアンをチャンワット(県)と呼ばせるようになるとバンコク(現在のトンブリー地域を除く)は県庁在地のプラナコーン郡にちなんでプラナコーン県と呼ばれ、儀式上と行政上の名称が完全に分離した。 1971年のタノーム元帥は革命後、同年の12月21日の革命団布告によってプラナコーン県とトンブリー県を融合しナコーンルワンクルンテープトンブリー ()と改称した、さらに翌年の革命団布告によってクルンテープマハーナコーン () と改称された。現在はこの略称としてクルンテープ () (「天使の都」の意)がよく使われている。 日本語や英語で慣用されるバンコクの語は、「バーンマコーク ()」が訛った「バーンコーク () 」がさらに訛ったものである〔冨田 p.820〕。バーンマコークとは「アムラタマゴノキ (オリーブに外見の似たウルシ科の樹木、) の水村」という意味である〔。 一般にはアユタヤ王朝時代、トンブリー(チャオプラヤ川を挟んでバンコク中心部の対岸側)にある要塞に駐屯していたポルトガル傭兵団がこの地の地名を現地人に訪ねたところこの名前が答えとして返ってきたが、バーンコークは固有名詞ではなく普通名詞なのでこれが誤って広まり定着したとされる〔小杉 p.11〕。一方、17世紀のフランスの外交官、シモン・ド・ラ・ルベールは本当の名前であるトン(ブリー)を外国人から隠すためにわざとバンコクという名を用いているとしている〔La Loubére p.4〕。いずれにせよ、外国ではこの地をバンコクと呼ぶことが定着した〔。 なお、タイ語のバーンコークであるが、現在ではトンブリー側にある一地域を指す言葉であって、(タイ語の)バーンコーク=(外国語の)バンコクではない。 なおバンコクは、日本語ではバンコック、バンコークとも表記される。また、バンコクの漢字表記は曼谷、盤谷の2通りがある。中国語表記では主に前者が、かつての日本では主に後者が使用されたが、確定的ではなく、2者が混交されて使用される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バンコク」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bangkok 」があります。 スポンサード リンク
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