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クン・エルジェーベト : ウィキペディア日本語版
クン・エルジェーベト
クン・エルジェーベト(、1239年頃 - 1290年?)は、ハンガリーイシュトヴァーン5世の妃である。子のラースロー4世が未成年だった1272年から1277年には摂政を務めた。クンはクマン族の意味で、エルジェーベトは洗礼名である。
==生涯==

===父の死===
エルジェーベトは1239年から1240年頃に生まれた。おそらく、クマン族ハンケテニュの娘である。クマン族はテュルク諸語のクマン語(en)(ポロヴェツ語(ru))またはキプチャク語(en)を話す、クマン - キプチャク連合の西の部族である。ヨーロッパキリスト教徒からは、シャーマニズムを信仰する異教徒であるとみなされていた。
1238年、父のケテニュはモンゴルのルーシ侵攻を逃れ、同族を率いてハンガリー王国へ入った。ハンガリー王ベーラ4世はクマン族と同盟を結び、彼らがカトリックへ改宗し、ハンガリーの王位に忠誠を誓うことを条件に、ドナウ川ティサ川の間に居住地を提供した。この待遇は、ベーラ4世にとっては国境防衛の意味合いがあった〔『ドナウ・ヨーロッパ史』p47〕。一方、遊牧生活をおくるクマン族の家畜が農作物に被害を与え、付近の農民との間に摩擦が生じるようになると、ベーラ4世と対立する貴族たちは、この摩擦をベーラ4世への非難に利用した〔『ハンガリー史 1』p87〕。いずれにせよこの同盟は、ケテニュの娘のエルジェーベトと、ベーラ4世の長男のイシュトヴァーン5世との婚姻によって、より堅実なものとなった。同盟締結時、おそらくイシュトヴァーンはまだ赤子だった。また、エルジェーベトがイシュトヴァーンより年上であったかは疑わしい。
1241年バトゥスブタイの率いるモンゴル帝国軍のヨーロッパ侵攻(en)が始まると、寝返りを恐れたハンガリーの貴族によってケテニュは殺された。一方ハンガリー軍は同年4月11日のモヒの戦いに敗れた。しかし、モンゴル帝国の大ハーン(en)オゴデイ崩御の知らせが届くと、バトゥは後継者を決めるクリルタイへ参加するために、カラコルムへの帰還を決めた。そのようにして、ハンガリーはモンゴルから放棄された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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