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クールジョイは日本の元競走馬である。 == 戦歴 == 2001年4月22日福島にてデビューするが、2戦目で初勝利を挙げてからは好成績に恵まれず、2002年6月22日に障害レースにデビュー。初戦は4着に入るが、その後故障により長期離脱。復帰2戦目の2003年5月4日東京で行われた障害未勝利戦で障害初勝利を飾ると、続いて京都ジャンプステークスに挑戦し、2着。さらに次戦の東京ハイジャンプでは3着と、重賞で上位を争える事を証明して見せたが、不運にも肝心の勝利には恵まれる事は無かった。 2004年4月24日に京都の障害オープンで遂に2勝目を飾ると、その勢いのまま次戦の京都ジャンプステークスを快勝し、重賞初制覇。しかしそこから小倉サマージャンプでの落馬、競走中止を皮切りにスランプへと陥り、惨敗を繰り返すようになった。 しかし、2006年に京都ハイジャンプで4着に入り、復活の兆しを見せると、続く中山でのイルミネーションジャンプステークスで復活勝利を挙げた。だが、次の中山大障害では8着に敗れた。 9歳となっても現役を続けた2007年の初戦は、京都の障害オープン。しかしコウエイトライなどに敗れ3着だった。さらに京都ジャンステークスは1番人気に推されたが3着、続く東京ハイジャンプでは10着だった。 さらに10歳となった2008年だが、阪神の障害オープン、小倉サマージャンプで7着、6着と全盛期の勢いを失っていたが、京都ハイジャンプとイルミネーションジャンプステークスでは4着と掲示板に入った。しかし、続く中山大障害では人気通りの9着に敗れた。 11歳となった2009年の初戦は牛若丸ジャンプステークスだったが、人気通りの8着に終わった。続く京都ハイジャンプでは13番人気と低評価だったが、テイエムトッパズレの3着に入った。しかし、続く東京ジャンプステークスでは8着に終わった。休養を挟んで11月の京都ジャンプステークスに出走したが、故障を発症した為2周目1コーナー手前で競走を中止した。 12歳となった2010年4月7日付でJRA競走馬登録を抹消され、現役を引退した。引退後は石川県小松市の小松トレーニングセンターを経て、北海道浦河町の久保時夫牧場で功労馬として余生を送っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クールジョイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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