|
グイード・ダレッツォ(Guido d'Arezzo:Guido Aretinus, Guido Monaco とも表記される、991年または992年 - 1050年)は、中世イタリアの音楽教師。現在用いられる楽譜記譜法の原型を考案した。また、''Micrologus''と呼ばれる、中世の音楽史上に広く受け入れられた論文を発表したことでも知られる。 == 略歴 == グイードの生没についてはよくわかっていないが、フランスで生まれたのではないかとする説がある。カトリック教会の修道会ベネディクト会の修道士でイタリアのアレッツォに住んでいた。最近のMicrologusの研究により、1025年か1026年、彼はある手紙の中で34歳と記していることから、生まれたのは991年か992年であることが推測される。彼はアレッツォに移る以前、アドリア海沿岸、フェラーラにほど近いポンポーザ修道院(en)に所属していた。彼はポンポーサ時代、聖歌隊がグレゴリオ聖歌を暗記するのがとても困難であった、と記している。グイードは聖歌を短期間で覚えられる方法を考案し、北イタリアで有名になった。しかし他の修道士からの反感を買い、アレッツォに移った。アレッツォに修道院はなかったが、指導が必要な歌手が多数いた。 アレッツォの大聖堂で唱歌隊を指導する傍ら、グイードは『アンティフォナリウム序説』という、どんな楽曲を表記する場合にも標準的に使える記譜法を説明した音楽教師向けの実践的なテキストを著した。楽曲の記憶を補助するこの優れたテキストは巷間に流布し、多くの写本が作られた。 グイードの音楽指導法は高く評価され、1028年、当時のローマ教皇ヨハネス19世の前でその指導法を披露した。 グイードに関する記録は1033年を最後に残っていない。1050年ごろアレッツォ、あるいはアベヤーノで死去したようだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グイード・ダレッツォ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|