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グスク時代(グスクじだい)は、沖縄・先島諸島および奄美群島における時代区分の一つ。奄美・沖縄諸島では「貝塚時代」、先島諸島は「先島先史時代」の後に続く時代区分である。「グスク時代」はグスクによって代表される考古学的な時代区分で、それ以前は歴史学者により「按司時代(あじじだい)」と呼称されていた。 開始年代は11世紀ないし12世紀頃、終了年代は琉球王国が誕生する15世紀前半、または16世紀頃までとされ、研究者によって年代範囲が異なる。グスク時代は城塞としてのグスク・按司の登場、農耕社会の確立、交易による石鍋・カムィヤキの伝播、そして奄美から先島までの文化圏が統一したことにより、社会的に大きく変容した時代とされるが、これらに異議を唱える者もいる。 == 時代名称 == 「グスク時代」が提唱される前は、歴史学者の仲原善忠が1952年に執筆した中学生用の社会科副読本『琉球の歴史』において「按司時代」が用いられ〔鈴木編(2012年)p.281〕、仲原以外の歴史学者もそれに倣って使用した〔来間『グスクと按司(下)』(2013年)pp.105 - 107〕。仲原は『おもろさうし』から、「按司時代」はすでに階級社会であり、按司による武力支配が行われたと解している〔『沖繩大百科事典 上巻』「按司時代」(1983年)p.53〕。また仲原は、「按司時代」を封建社会として認識し、その後の「三山時代」へ続くと述べている〔来間『グスクと按司(下)』(2013年)p.111〕。 「グスク時代」という名称を最初に使用したのは高宮廣衞である〔服部編(2010年)p.159〕〔来間『グスクと按司(下)』(2013年)p.157〕。考古学を専門としていた高宮は、当時代の遺跡である城跡や集落跡に関連した時代名称を考えあぐねていた〔高宮(1991年)p.293〕。1960年12月、高宮は"''castle period'' "や"''castle culture'' "という語句を用いて、英文レポートに記載し、アメリカの学会に提出した〔高宮(1991年)pp.292 - 293〕。高宮は、多和田真淳が1956年に提示した琉球王国成立以前の「貝塚時代」晩期を「城(ぐすく)時代」と命名し〔鈴木編(2012年)p.280〕、1966年に発表したレポートに記載した〔。その後、1973年頃の「グシク論争」から「グシク時代」へ、1975年頃からは「グシク」が「グスク」へ呼び名が変化し、「グスク時代」となった〔安里『考古学からみた琉球史 上』(1990年)p.69〕。歴史学者の高良倉吉は、1980年発行の著書に使用して以降、多くの歴史学者も「グスク時代」を使用し〔来間『グスクと按司(下)』(2013年)pp.159 - 160〕、「按司時代」は殆ど用いられなくなった〔来間『グスクと按司(下)』(2013年)p.105〕。 奄美・沖縄諸島では「貝塚時代」、先島諸島は「先島先史時代」の後に続く時代区分である〔『日本歴史地名大系 沖縄県』〔琉球考古学の時代区分〕(2002年)p.26下段〕。またグスク時代は、先島諸島においては「スク時代」、奄美群島は「古代並行期」や「中世並行期」といった名称も使用されつつある〔高梨ら(2009年)p.54〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グスク時代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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