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グッチオ・グッチ : ウィキペディア日本語版
グッチオ・グッチ
グッチオ・グッチ(Guccio Gucci、1881年3月26日 - 1953年1月2日)は、ファッションブランドグッチ」の事業をフィレンツェで創業したイタリア起業家フィレンツェに生まれ、ミラノで没した。
== 生涯 ==
1881年、グッチオ・グッチはフィレンツェで、麦藁帽子の製造を行う「ガブリエロ」という零細帽子製造会社を経営するガブリエロ・グッチの息子として生まれた。グッチオはロンドンで一旗揚げようと決心し、蒸気船の機関助手として働きながら、1898年にロンドンに〔桑原(2002)、7ページ。〕辿りついた。ロンドンでは最下級の労働者としてではあったが、最高級ホテルのサヴォイ・ホテル(Savoy Hotel)〔に職を得た。
グッチオはサボイ・ホテルの皿洗いから1階のウェイターに出世する。低賃金ではあったが、王侯貴族御用達ホテルであったのでチップには不自由しなかった。また、王侯貴族の立ち居振る舞いを間近で見ることで、持ち物や物の考え方などを学んだ。。この経験は後のブランドビジネスに大いに活かされることとなる。多くのことを学び、グッチオは1901年に生まれ故郷のフィレンツェへ帰った。
帰国後はいくつかの商店で働き、第一次世界大戦の始まりとともに徴兵される。大戦後の1919年にフィレンツェへ戻り、高級レザーグッズの店である「フランツィ」に職を得て皮革の扱い方を習得する〔。1921年に皮革製品を扱う会社を設立〔gucci ヒストリー 1920年代 〕。41歳の1922年〔にフィレンツェのパリネオ通りに自分の店を開き、1923年に「GUCCI」の店名を掲げる。グッチが主に扱ったのはイギリスから輸入した鞄とその修理である。この鞄の修理によって、壊れやすい箇所や、そこをどう作ればよいかなどの旅行鞄の作り方を研究することができ、使いやすく丈夫な鞄を作る術を学ぶことができた。そしてイギリスから持ち込んだ感性を反映した独自の皮革製品を、選りすぐりのトスカーナの職人たちの手で作り出していった。
ほどなくして、グッチのブランドは、乗馬の世界にモチーフを求めたトランク手袋ベルトなどのコレクションが、洗練された顧客の注目を国内外から集めるようになった。乗馬の世界から、クリップやスティラップ(あぶみ)のモチーフが持ち込まれてモード店としての象徴となり、そのデザインはいよいよ革新的なものになっていった〔gucci ヒストリー 1930年代 〕。1940年代には、ファシスト政権下の閉鎖経済政策による物資の不足に直面しながらも、グッチは他に例を見ないほどの創造性を発揮し精力的に活動した。把手にを用いた鞄「バンブー」は、この時期に誕生し、グッチを象徴する様々な商品の先駆けとなった。今でもこのバッグは、セレブリティの女性たち強く支持されている〔gucci ヒストリー 1940年代 〕。
1950年代には、馬具腹帯にヒントを得た緑=赤=緑のリボンが新たに登場し、ブランドを象徴するものとして新たに親しまれるようになった。ミラノニューヨークにもブティックを出店するようになると、グッチのブランドはエレガンスと洗練を象徴する存在となっていった〔gucci ヒストリー 1950年代 〕。
グッチオ・グッチは、1953年の夏に72年の生涯を閉じる。その後は、息子たちアルド (Aldo)、バスコ (Vasco)、ウーゴ (Ugo)、ロドルフォ (Rodolfo) が父の事業を引き継ぎ、成長させていった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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