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グレート・ギタリスト・ハント : ウィキペディア日本語版 | グレイト・ギタリスト・ハント 「グレイト・ギタリスト・ハント」(Great Guitarist Hunt)とは、1974年にローリング・ストーンズを脱退したギタリスト、ミック・テイラーの後任を探す目的で行われた一連のレコーディングセッションのことである。テイラーが脱退を表明した時点で既に翌1975年のストーンズ北米ツアーが決まっていたため、後任のギタリストを早急に探す必要があった。そのような状況下、オーデションは主に1974年12月からドイツ(当時西ドイツ)の都市ミュンヘンで製作が開始されたアルバム『ブラック・アンド・ブルー』のレコーディングを利用して行われた。 ==概要== 1974年当時、テイラーはストーンズのメンバーとしての最後のアルバムとなった『イッツ・オンリー・ロックンロール』のレコーディングには全面的に参加したものの、すでにある程度は脱退も考えていたようである。理由としては、やはりストーンズの中心は何といってもミック・ジャガーとキース・リチャーズの2人であり、テイラーは自分が今後追及していきたいと考えていた音楽の製作はバンド内では難しいと思い始めていた、とこれまで多くのメディアや関連資料などで伝えられている。当時、ジャガーほかストーンズのメンバーや周囲のスタッフ、ミュージシャン達がどの程度テイラーの心境を知っていたか正確にはわからないが、ストーンズで活動していくことに対して消極的になりつつあると感じていたとしても、ニューアルバムのリリース後、いきなり抜けるとは予想だにしていなかったようである。 テイラーがジャガーにバンド脱退を伝えたのはロバート・スティッグウッドのパーティ会場でのことだったらしく、そのパーティ会場で偶然ロン・ウッドがミック・ジャガーの隣に座っていると、テイラーがやってきてストーンズを辞めるとジャガーに伝えた、とウッドが語っている。すでにツアーの予定が組まれていたのでジャガーは一時的に非常に焦り、横にいたウッドに「大変だ、ロニー今すぐストーンズに加入しないか?」と聞いてきたという。ウッドは、参加したい気持ちはあったが当時まだフェイセズのメンバーだったので、その場で即答はしなかった。結局1975年の北米ツアーはウッドをサポートメンバーとして乗り切る。その後ストーンズはテイラーの後任ギタリストを選抜するために、ミュンヘンのスタジオに有力候補となり得るギタリスト達を集めてセッションし、バンドとの相性をチェックした。この一連のセッションが特にローリング・ストーンズのファンや一部のロックファン、ジャーナリスト、研究者達の間で「グレイト・ギタリスト・ハント」と呼ばれている。このセッションは1976年に『ブラック・アンド・ブルー』としてリリースされるアルバムのレコーディングを利用して行われたため、同アルバムにはリチャーズ以外に3人のギタリストが参加している。 実際に誰がミュンヘンでのセッションに参加していたかには諸説あり、過去にはいわば都市伝説的に誇張された説も散見されたようだが、最終的にストーンズに加入したウッド、『ブラック・アンド・ブルー』にクレジットされているハーヴィ・マンデル、ウェイン・パーキンスの3人が参加していたことは確実だろう。ブートレグで演奏が確認されているジェフ・ベックに関しては後述を参照。このほかに参加していた、またはミュンヘンでのセッションに参加したかどうかは不明だが候補とされていた、と言われているギタリストに、ロリー・ギャラガー、ピーター・フランプトン、スティーブ・マリオットなどがいる。なお『ブラック・アンド・ブルー』を制作していた時期のバンドのスケジュールや具体的な移動は"w:Black and Blue"に時系列通り明確に記述されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グレイト・ギタリスト・ハント」の詳細全文を読む
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