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グン・ビリク・メルゲン晋王(1506年 - 1542年〔『蒙古源流』では「四十五歳の庚戌の年(1550年)」としているが、明の記録によると、嘉靖二十一年(1542年)頃としており、『アルタン・ハーン伝』でも、「壬寅の年(1542年)に三十七歳で」とあるように1542年に亡くなったとしている。《岡田 2004,p252》〕)は、オルドス・トゥメンの晋王(ジノン)。バルス・ボラト・サイン・アラクの長男で、アルタン・ハーンの兄。 ==生涯== 1506年、バルス・ボラト・サイン・アラク晋王の子として生まれる。 1531年、父のバルス・ボラト・サイン・アラク晋王が亡くなったため、翌年(1532年)27歳で晋王(ジノン)位を継ぎ、オルドス・トゥメンを領す。 グン・ビリク・メルゲン晋王は、弟のアルタンとともに、右翼のトゥメンを率いて毎年中国の明やオイラト,モグーリスタン,青海に侵攻し、略奪を行った。〔宮脇 2004,p153〕 1542年、グン・ビリク・メルゲン晋王は37歳で亡くなり、翌年(1543年)息子のノヤンダラが後を継いで晋王となった。 〔岡田 2004,p250-252〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グン・ビリク・メルゲン晋王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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