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ケニアは、クリケット、自動車ラリー、サッカー、ラグビーユニオン、ボクシングなどをはじめとして、いろいろなスポーツが盛んである。中でも、陸上競技の中距離走、長距離走における圧倒的な強さはよく知られている。 ==陸上競技== ケニアは、オリンピックやコモンウェルスゲームズなどにおいて、800メートル競走、1500メートル競走、3000メートル競走、3000メートル障害、5000メートル競走、10000メートル競走、マラソンといった中・長距離走の優勝者を数多く生み出してきた。ケニアの陸上競技選手たち、とりわけカレンジン族出身者たちは、中・長距離走の世界で大きな実績を残してきたが、近年ではモロッコやエチオピアがその地位を脅かしつつある。著名なケニアの陸上競技選手としては、ボストンマラソンで4度、世界陸上で2度の優勝を果たした女子マラソン選手キャサリン・ヌデレバ、男子マラソンの元世界最高記録保持者ポール・テルガト、ソウルオリンピックの5000メートル競走で優勝したジョン・ヌグギなどが挙げられる。 2008年の北京オリンピックにおいて、ケニアは金6、銀4、銅4〔男子1500メートル競走で、当初はバーレーンのラシド・ラムジが優勝とされたが、オリンピック後のドーピング再検査の結果を受け、IOCは2009年11月にラムジの失格・メダル剥奪を発表。銀メダルだったケニアのアスベル・キプロプが金に繰り上がった。このため、これ以前の資料では、ケニアの獲得メダル数は金5、銀5、銅4となっている。 ラムジの金メダルはく奪へ IOC、薬物違反で - 47NEWS〕のメダルを、すべて中・長距離走で獲得し、メダル獲得数ではアフリカ諸国で最高の成績を上げた。この大会では、ケニアの女性選手として初めてのオリンピック金メダリストとなった800メートル競走のパメラ・ジェリモや、男子マラソンで優勝したサムエル・ワンジル(高校時代以来、日本を活動の拠点としている)が新たに注目を集めた。同年、パメラ・ジェリモは、当時のIAAFゴールデンリーグで6戦全勝し、ジャックポット賞金100万ドルの全額を獲得している。 かつてオリンピックやコモンウェルスゲームズなどで優勝を重ねたキプチョゲ・ケイノは1970年代から続くケニアの中長距離走の繁栄への道を拓いた選手であり、中長距離4種目の元世界記録保持者ヘンリー・ロノがこれに続いた。 2000年ころから、ケニアの陸上競技界では、数多くのケニア出身の選手が、他の国々、とりわけバーレーンやカタールなどの代表となることをめぐる論争が激しくなった〔IAAF: Changes of Allegiance 1998 to 2005 〕。ケニアのスポーツ省は、こうした国外流出を止めようと試みているが、流出は続いており、ケニア代表としてオリンピックに2度出場しメダルを獲得したバーナード・ラガトは、2005年にアメリカ合衆国へと国籍変更をしている〔。こうした選手の流出は、多くの場合は経済的な理由によるものだが、一部のエリート選手の場合、レベルの高いケニアのナショナル・チームに加わるのが難しくても、他国からであれば国際大会への出場資格が得られやすいという事情も働いている。 日本では、上述の北京オリンピックで金メダルを獲ったサムエル・ワンジルをはじめ、ケニア出身の選手が高校段階から留学し、駅伝やマラソンで活躍する例が、ジョセフ・オツオリ、ダニエル・ジェンガ、ジョセファト・ダビリ、ジョン・カリウキ、メクボ・ジョブ・モグスなど多数ある。また、実業団や大学から来日し、日本に定着したダグラス・ワキウリやギタウ・ダニエルのような例もある。 2015年世界陸上競技選手権大会では、400mHでニコラス・ベット、やり投げでユリウス・イエゴが優勝しており、中・長距離走だけの強豪国ではないことを示した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケニアのスポーツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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