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ケニー・オメガ(Kenny Omega、1983年10月16日 - )は、カナダ・マニトバ州出身のプロレスラー。本名はタイソン・スミス(Tyson Smith)である。 == 来歴 == ウィニペグ近郊のトランスコナ出身。2002年7月1日にウィニペグのローカル団体 Top Rope Championship Wrestling でプロレスデビュー。当初はサーフィン初心者にもかかわらず「ハワイのサーファー」というギミックだった〔急にデビュー戦が決まり、コスチュームとしてハワイ好きの父のアロハを拝借したことから〕が、のちに『ストリートファイター』の波動拳などを得意技として使用する「ゲーム・アニメ好きのギーク(おたく)」というギミックに変更した。 その後はROHや、JAPW、PWGなどのアメリカのインディー団体で活躍。WWE傘下のDSWに参戦していたこともあるが「レスラーとしての環境としては最高だが、ロボットに作り替えられるようだった」として自ら退団している。 YouTubeなどの動画投稿サイトにエニウェア・マッチの動画が公開され、一部の日本のレスリングファンなどから話題になる。本人の猛烈な高木三四郎への売込み〔それ以前にも高木宛に経歴などを書いたアピールのメールを送っていたが「英語が読めなかったからか」(ケニー談)返事はなかったという。それがわかりやすいアピールとして前述の動画を撮るきっかけになった。〕によりDDTがケニー・オメガを日本に招聘し、2008年7月に初来日した。 2009年1月より飯伏幸太と「ゴールデン☆ラヴァーズ」を結成し、第28代CMLL認定KO-Dタッグ王座を獲得するなどの結果を残している。 2010年1月31日には新日本プロレスに初参戦。新日本プロレス主催の『BEST OF THE SUPER Jr.XVII ~STRIKE GOLD~』に出場して金本浩二、田口隆祐などから勝利し、ブロック3位の成績を残した。 8月30日にはSMASH.7にも参戦。カナダ時代の師匠であるMentalloと対戦し勝利。 10月11日、新日本プロレス両国大会で、飯伏との「ゴールデン☆ラヴァーズ」でIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し、プリンス・デヴィット&田口隆祐のApollo55を下して戴冠した。その後は2度(Apollo55、邪道&外道)防衛した。 2011年6月19日、中澤マイケルとのタッグでKO-Dタッグを奪取するも、6月24日のワンマッチ興業でHARASHIMA&HERO!組に敗れた。 7月29日、DDT新木場1stRing大会で全日本プロレスへの参戦希望を表明、これが受けて全日本プロレスのジュニアヘビー級リーグ戦への参戦が決定した。 9月11日、全日本のジュニアヘビー級リーグ戦開幕戦で世界ジュニアヘビー級王者・KAIから勝利。10月23日、全日本・両国大会でKAIを破り世界ジュニアヘビー級王座を奪取した(第31代王者)。 2012年8月18日、DDT初の日本武道館大会のメインイベントで飯伏が保持するKO-D無差別級王座に挑戦するも敗れる。飯伏とはこれが4年ぶり2度目のシングル戦であった。 12月23日、後楽園ホール大会でエル・ジェネリコを破りKO-D無差別級王座を初戴冠。HARASHIMA、中澤マイケルを相手に防衛するも、2013年3月20日、入江茂弘に敗れ、防衛失敗。 2014年10月3日、DDTとの契約を10月いっぱいで終了し、新日本プロレスに移籍することが発表された。 10月26日、DDTラストマッチで飯伏とタッグを組み男色ディーノ&竹下幸之介と対戦。PKこころΩで勝利を収めようとするが中澤マイケルが試合を終わらせたくないと乱入するが飯伏のハイキックで排除されてしまう。さらに試合にはケニーが寮を出て行ってしまうことを悔やむ遠藤哲哉やヨシヒコに似たケニーのコスチュームをまとったケニヒコが登場するが遠藤は飯伏の正拳突きを食らいこれも排除される。試合はゴールデンシャワーでディーノから勝利しラストマッチを勝利で飾った。 11月8日、新日本プロレス大阪大会に登場、「ザ・クリーナー(殺し屋)」の二つ名でヒールユニットのBULLET CLUBに加入し、同時に田口隆祐の持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦表明。 2015年1月4日、新日本・東京ドーム大会において田口を破りIWGPジュニアヘビー級王座を奪取したが7月5日、大阪城ホールでKUSHIDAに防衛失敗、9月23日、桃太郎アリーナで再び挑戦し雪辱を果たした。 2016年1月5日、新日本・後楽園大会でAJスタイルズとタッグを組み中邑真輔&YOSHI-HASHIと対決。 ジュニアヘビー級の選手でありながらヘビー級の王者である中邑からピンフォール勝ちを収めた。 試合後、バレットクラブの仲間であるAJを襲撃しバレットクラブを追放。中邑の持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦表明するとともにヘビー級転向を宣言した。 2月14日、新日本・アオーレ長岡大会で中邑の退団に伴い返上されたインターコンチネンタル王座の第13代王者をかけ棚橋弘至との王座決定戦に挑み勝利。ヘビー級転向後初のタイトルを獲得。試合後には新日本移籍後長らくしゃべらなかった日本語でファンに感謝の念をマイクで話す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケニー・オメガ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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