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ケニー・ホイーラー(ホイラー、ウィーラー、Kenny Wheeler, 1930年1月14日 - 2014年9月18日〔訃報 Kenny Wheeler Rifftide:後藤 誠のJAZZ研究室 2014年9月23日閲覧〕)は、カナダ、オンタリオ州トロント生まれの主にイギリスで活躍するジャズ・トランペット・フリューゲルホーン・コルネット奏者。作曲家。 == 経歴 == 1950年から1951年まで、トロントのロイヤル・コンセルヴァトワールで和声を学び、1952年にロンドンに進出。 ダンス・バンドで演奏するかたわら、1959年にはジョン・ダンクワースのオーケストラのメンバーとなり、作曲を学ぶ。その後フリー・ジャズのムーブメントに身を投じ1960年代後半から1970年代にかけてアラン・スキッドモア、トニー・オクスレー、アンソニー・ブラクストン、マイク・ウエストブルックらと共演、また所属した重要なグループとして、スポンテニアス・ミュージック・アンサンブル、グローブ・ユニティがある。 ECMレコードには、演奏参加した多数の作品があり、リーダー作に限ってもキース・ジャレット、デイヴ・ホランド〔Dave Holland @TheDaveHolland, 18 septembre 2014 :Thinking about my dear friend Kenny Wheeler who passed away today. A beautiful spirit that lives on in his music & in our memory.〕、ジャック・ディジョネットと録音した「ヌー・ハイ(Gnu High)」〔参加ピアニストはキース・ジャレットだが、ホイラーとマンフレッド・アイヒャーの間では、チック・コリアも検討されていたという。『キース・ジャレット 人と音楽』(イアン・カー、蓑田洋子訳、音楽之友社):「ジャズ界屈指の独創的かつ叙情的プレイヤーの一人、トランペッターのケニー・ホウィーラーが、ECMからレコードを出そうとして、企画に参加してもらうミュージシャンについてアイヒャーと話し合っていた。ドラムスはジャック・ディジョネット、ベースはデイヴ・ホランドと決まっていたが、ピアニストはチック・コリアとキース・ジャレットのどちらかにしようということになり(・・・)」p.164 〕(1975年)他、多々優れた作品を残している。 1976年にはジョン・テイラー(John Taylor)、ノーマ・ウィンストン(Norma Winstone)とジャズグループ アジマス(Azimuth)を結成。1983年ごろからは、デイヴ・ホランドのグループの重要なメンバーとして活動した。近年では、積極的に若手の演奏家とともに録音したとみられる作品が多く見られ後進の育成にも力を注いでいることが伺われる。又、ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブルでもメイン・メンバーとして永年活躍した。 デヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian)のアルバムでもしばしばフィーチュアされている。 1980年代前半にグローブ・ユニティのメンバーとして来日。1988年には、ジョルジュ・グルンツ・コンサート・ジャズ・バンド(Gruntz Concert Jazz Band)のツアーの一環として二度目の来日が実現した。88年10月の来日時には、東京で2度のコンサートの予定があったが昭和天皇の健康状態により片方はキャンセル、九段会館だけでの演奏となった。他、大阪の御堂会館でも演奏した模様である〔http://ameblo.jp/otremazul/entry-11927564215.html〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケニー・ホイーラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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