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ケネディ大統領暗殺事件(ケネディだいとうりょうあんさつじけん、)は、1963年11月22日金曜日、現地時間12時30分にテキサス州を遊説中であった第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディがダラス市内のパレード中に銃撃され死亡した事件のこと。 犯人とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドは、2日後にダラス警察署の中でジャック・ルビーに撃たれて殺され、裁判の場に立つことはなかった。そして後にウォーレン委員会の公式調査報告でオズワルドの単独犯行として大統領が後方から撃たれたとする結論に対して、数々の疑惑が出るなど、長年にわたって真相についての議論が続いている。白昼に多くの人々が見ている前で起こった衝撃的な銃撃による大統領の死、犯人がすぐに殺害される意外な展開、その後に暗殺の動機も背後関係も分からず多くの謎を残したまま捜査が終了したことから、陰謀説も多い事件として半世紀が過ぎた現在でも論議を呼んでいる。 == 事件概要 == === テキサス遊説の背景 === ケネディ大統領が1963年11月下旬にテキサス州を遊説することにしたのは以下の三つの理由からであった。 * 翌1964年11月の大統領選挙に向けて民主党選挙戦資金の寄付を求めるため。 * その大統領選挙での再選へ向けての選挙活動の開始。南部諸州は以前は民主党の金城湯池と言われる牙城であったが、前年とこの年の夏にアフリカ系住民に対する人種差別について強硬な姿勢を取ったケネディに対する反感が渦巻き、翌年の大統領選挙で共和党から立候補が確実視されていた超保守派のゴールドウォーター〔バリー・ゴールドウォーター。共和党上院議員で、翌年共和党大統領候補となり、ケネディ暗殺後昇格した民主党ジョンソン大統領と争い大敗を喫した。その後議会での重鎮として活躍し、1973年8月にウォーターゲート事件で弾劾の発議が可決されて絶体絶命の立場に立たされたニクソンに引導を渡したのがゴールドウオーターであった。〕に南部諸州を全て勝たれるとの予想が秋頃から民主党にはあった。そこで南部の中で唯一民主党が勝利する可能性があるのがテキサス州であった。選挙人数も南部で最大の州であり、ジョンソン副大統領の地元でもあり、最初のテコ入れをテキサス州にして、最低でもテキサスだけは確保するつもりであった〔仮に南部で票が取れなかったとしても、ケネディは東部や北部で安定した支持票で勝利していたであろう、と言われている。〕。 * 前回1960年の大統領選挙では、ジョンソンの地元であるのにケネディ-ジョンソン組がテキサス州では辛うじて勝っただけで(ダラスでは共和党に敗北した)、しかもテキサス州の民主党が保守的なコナリー知事とヤーボロー上院議員(ケネディと親しい関係)が対立していて、このテキサスの民主党有力メンバーとの関係を修復させる狙いもあった。 行程は11月21日(木)にホワイトハウスを発ち、専用機でサンアントニオからヒューストンを経てフォートワースに夜到着し、翌11月22日(金)の朝にフォートワースからダラス、最後はオースチンに行き、そしてオースティン郊外のジョンソン牧場で副大統領夫妻と週末を過ごす予定であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケネディ大統領暗殺事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Assassination of John F. Kennedy 」があります。 スポンサード リンク
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