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ケビン・サリバン(Kevin Francis Sullivan、1949年10月26日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。マサチューセッツ州ボストン出身。 1970年代にベビーフェイスのポジションで活動後、1980年代より怪奇派のヒールに転向。ザ・タスクマスター(The Taskmaster)を名乗ってヒール軍団の首領を務め、マネージャーやブッカーとしても活躍した。 == 来歴 == === ベビーフェイス時代 === 1970年10月、ジョージア州アトランタでのスカンドル・アクバとのスタジオTVマッチにてデビュー。同地区でジョバーを務めた後、1971年よりジョニー・ウエスト(''Johnny West'')のリングネームでNWAガルフ・コースト地区に入り、ケン・ルーカスとのコンビで活動。3月11日にエディ・サリバン&ダンディ・ジャック・モレルからガルフ・コースト・タッグ王座を、6月2日には松岡巌鉄&大熊元司のライジング・サンズからUSタッグ王座をそれぞれ奪取した。 その後、リングネームを本名のケビン・サリバン(''Kevin Sullivan'')に戻し、1972年よりテネシーのNWAミッドアメリカ地区に進出、3月24日にはロバート・フラーと組んで同地区版のNWA世界タッグ王座を獲得している。1973年からは、長年の主戦場となるフロリダのCWFに参戦、主宰者エディ・グラハムの息子マイク・グラハムのパートナーに起用され、ボビー・シェーン&ゴージャス・ジョージ・ジュニアなどのチームを破りNWAフロリダ・タッグ王座を2回獲得した。翌1974年5月、全日本プロレスに初来日。前年にデビューしたジャンボ鶴田とのシングルマッチも組まれ、当時の日本では「南部の若獅子」なるニックネームが付けられた。 1975年10月より、ニューヨークのWWWFに登場。イワン・プトスキーとのタッグチームなどで活動し、1976年には、WWWF世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノの挑戦者としてWWWFに参戦していたスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのコンビとも対戦、ジ・エクスキューショナーズ(キラー・コワルスキー&ビッグ・ジョン・スタッド)が保持していたWWWF世界タッグ王座にも挑戦した。WWWFには1977年まで出場し、アーニー・ラッド、スーパースター・ビリー・グラハム、バロン・シクルナ、バグジー・マグロー、クラッシャー・ブラックウェル、スパイロス・アリオン、トーア・カマタ、ニコライ・ボルコフ、ケン・パテラとも対戦した。 その後、1977年5月の全日本プロレス再来日を経て、1978年は中西部のNWAセントラル・ステーツ地区で活動。ケン・ルーカスと再びコンビを組み、4月24日にアレックス・スミルノフ&ブルドッグ・ボブ・ブラウンからセントラル・ステーツ版のNWA世界タッグ王座を奪取。南部ではアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにて、1979年にトニー・チャールズとUSジュニアヘビー級王座を争った。 1980年はジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングを主戦場に、4月21日にトニー・アトラスと組んでアレックス・スミルノフ&イワン・コロフからNWAジョージア・タッグ王座を奪取。シングルでも、6月8日にトーナメントの決勝でエディ・マンスフィールドを破り、空位となっていたNWAジョージア・ジュニアヘビー級王座を獲得、以降もスタンリー・レーンやダッチ・マンテルを相手に同王座を争い、レス・ソントンが保持していたNWA世界ジュニアヘビー級王座にも挑戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケビン・サリバン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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