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ケビン・マクレイノルズ(Walter Kevin McReynolds , 1959年10月16日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した野球選手。 外野手(主に左翼手)。右投右打。アメリカアーカンソー州リトルロック出身。 == 人物・来歴 == アーカンソー大学時代に2度全米選抜チームに選出される。サンディエゴ・パドレスに入団し、6月2日にメジャーデビュー。 その年は39試合の出場にとどまるが、翌はレギュラーを獲得。147試合に出場し、打率.278、20本塁打、75打点の活躍でチームのワールドシリーズ出場に貢献(シリーズはデトロイト・タイガースに敗れる)。皮肉にも、これが最初で最後のワールドシリーズになってしまった。は低調だったが、に打率.288、26本塁打、96打点と活躍すると、そのオフのウィンター・ミーティングで、ニューヨーク・メッツに2対5の交換トレードで移籍(メッツからパドレスに移籍した5選手にはのナ・リーグMVPケビン・ミッチェルや1984年ドラフト会議で全米1位で指名したトッププロスペクト、ショーン・エイブナーが含まれていた)。 メッツ移籍後も変わらぬ活躍を見せ、は29本塁打、95打点。は27本塁打、99打点を記録し、21盗塁を記録したが、失敗は0。メジャー史上、年間盗塁失敗0でもっとも多くの盗塁を記録した。チームの地区優勝に貢献。MVPの投票でもカーク・ギブソン(ロサンゼルス・ドジャース)、ダリル・ストロベリー(メッツ)に次ぐ第3位の票を得た。1989年8月1日にはサイクルヒットを達成。 しかし、に16本塁打、74打点に終わってチームも地区5位(6球団中)と低迷すると、メッツはボビー・ボニーヤ、エディー・マレーといった高額フリーエージェント(FA)を次々に獲得。そのあおりを受けてマクレイノルズはブレット・セイバーヘイゲンらとの交換(3対2)トレードでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。しかし以前のような成績は残せなかった。一方のメッツもは引き続き5位、ナ・リーグに2チームが拡張されて、東地区が7球団となったには、新興フロリダ・マーリンズよりも下の最下位に終わった。ビンス・コールマンとの交換トレードでメッツに再移籍することとなった。しかし、メッツに復帰したはわずか51試合の出場にとどまり、この年限りで現役引退した。 安定した成績を残したが、打率3割、本塁打30、打点100は一度も達成できなかった。レフトの守備も堅実であったが、ゴールドグラブ賞獲得には至らなかった。また、オールスターにも1度も選出されなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケビン・マクレイノルズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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