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ケビン・マース(Kevin Christian Maas , 1965年1月20日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 経歴 == 1986年のMLBドラフト22巡目でニューヨーク・ヤンキースから指名を受け入団。マイナーで順調にキャリアを重ね、1990年6月にドン・マッティングリーの代役としてメジャー初昇格を果たす。なおマイナー時代には1年早く入団していた実兄のジェイソン・マース〔1985年のドラフト10巡目で指名を受け、1991年までヤンキース傘下マイナーでプレーしたがメジャー昇格は果たせなかった。〕と何度かチームメイトになっている。 メジャー史上最速で10本塁打に到達するなどデビュー直後から本塁打を量産し、大型新人として注目を集めた。またハンサムな容貌から女性人気が高く、マースが本塁打を打つたびにトップスを脱ぎ捨てる女性ファンの集団(マース・トップスと名付けられた)がスタジアムに現れ話題を呼んだこともあった。この年は出場79試合で打率.252、本塁打21本と新人としては上々の成績を収め、新人王投票でもサンディー・アロマー・ジュニアに次ぐ2位に入った。 マッティングリーの後継者として期待を受けたが翌年は伸び悩み、また36試合で6失策と一塁守備にも難が見られたため、復調したマッティングリーに押し出される形で指名打者に回った。それでもチーム2位の23本塁打を放って意地を見せたが、翌1992年は強打者ダニー・タータブルの加入もあってレギュラー争いから後退。さらに成績が低迷した1993年にはマイナー落ちも経験し、結局1994年シーズン開幕前にヤンキースを解雇された。以降は所属球団を転々としながら主にマイナーリーグでプレーを続けたが、目立った成績は残せなかった。 1996年6月、シーズン途中で解雇されたグレン・デービスとスコット・クールボーの後釜として阪神タイガースに入団する運びとなり、来日。同時に入団したクレイグ・ワーシントンと共に中軸候補として期待を受け、マスコミからは登録名に掛けて「打ってクレイグ、たのんマース」などと書かれた。 残りのシーズンを通してクリーンナップとして積極的に起用されたが、弱点を攻められると脆く、同年限りで退団となった。なお彼の応援歌は似た響きの名前(姓)をもつ名助っ人ランディ・バースの応援歌を流用したものだったが、やがてラリー・パリッシュやロブ・ディアーが用いた応援歌に差し替えられた。 帰国後はマイナーのAAA級で1シーズンプレーしたが奮わず、現役を引退した。現在はアメリカの大手証券会社チャールズ・シュワブで財務コンサルタントとして働いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケビン・マース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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