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ケビン・フォード・メンチ(Kevin Ford Mench, 1978年1月7日 - )は、アメリカ合衆国デラウェア州ウィルミントン出身の元プロ野球選手(外野手)。 == 経歴 == === メジャー時代 === 1999年のMLBドラフト4巡目でテキサス・レンジャーズから指名を受け、プロ入り。4月9日にメジャーデビューを果たした。2002年は新人選手ながら110試合に出場し、15本塁打を放った。その活躍が評価され、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票で7位に入った。 は故障で離脱したが、はレンジャーズで復活、125試合の出場ながら26本塁打を放った。6月30日にはメジャータイ記録となる3イニング連続本塁打を記録。7月8日には、当時12勝4敗・防御率2.33とサイ・ヤング賞最有力候補だったロイ・ハラデイの足に打球を直撃させ、シーズン後半を棒に振らせている。には、シーズン序盤の4月21日から4月28日にかけて、右打者としてはメジャー史上初の7試合連続本塁打を放つ活躍を見せたがその後に失速し、同年7月26日にレンジャーズの球団通算5万本目のヒットを放った2日後、ミルウォーキー・ブルワーズにトレード移籍した。 シーズン終了後はFAとなり、古巣のレンジャーズとマイナー契約。その後、5月9日にトロント・ブルージェイズへトレードされメジャー復帰を果たした。 同年12月24日、ルー・フォードの後釜を探していた阪神タイガースと年俸1億8,000万円で契約。阪神は総額4億円の2年契約を掲示したが、メンチはそれを断り1年契約を結んだ。当時阪神監督であった岡田彰布によれば、2007年頃にもメンチが阪神の獲得リストに挙がりながら、金額面で見送られていた。しかも、岡田が退任する予定ではなかった2008年9月の時点で、現場サイドでは翌年の獲得候補としてネルソン・クルーズを検討していた。実際にメンチを獲得した真相は不明だが、フロントの担当者が現場を無視して「メンチを使え」と強制したわけではなく、球団社長の南信男も「(フロントの担当者は)そんな人物ではない」と断言している〔岡田彰布・江夏豊『なぜ阪神は勝てないのか? ~タイガース再建への提言』、23 - 26ページ。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケビン・メンチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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