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ケベク
ケベク(Kebek / Köpek, كبك Kabak, كوپاك Kūpāk、? - 1326年)は、チャガタイ・ハン国の第15代君主(在位:1320年以前〔加藤和秀『ティームール朝成立史の研究』、62頁〕 - 1326年)。漢語史料では怯別と表記される。 == 即位以前 == 第11代君主・ドゥアの子。1308年に兄のゴンチェクが死去すると傍流のナリクが即位した。ゴンチェクほかエセン・ブカ、イルジギデイ、ドレ・テムル、タルマシリンらは兄弟。ナリクが即位した当時のケベクは年少であったと思われるが〔加藤和秀『ティームール朝成立史の研究』、49頁〕、ドゥア一門に与する貴族(アミール)の力を借りてヒジュラ暦708年(1308年 - 1309年)に弟のエブゲンと共にナリクを殺害する〔。王位を巡る混乱に乗じてカイドゥの息子チャパルがオゴタイ家一族を率いてチャガタイ家の領土に侵入すると、ケベクは自らチャパルを迎え撃つが敗北する。タリクの甥アリー、ムバーラク・シャーの子シャイフ・ティムール、オゴタイ家のシャーら諸王の助けを受けてチャパルと再戦して勝利を収め、チャパルを中国に放逐した〔。1309年の夏にクリルタイを招集し、アフガニスタンに駐屯していた兄のエセン・ブカをハンに推戴した。即位したエセン・ブカからマー・ワラー・アンナフルとフェルガナの統治権を与えられ、ハン国の共同統治者となった。 1313年に他のチャガタイ家の王族を率いてイルハン朝が有するホラーサーン地方に侵攻した。遠征中に同行した王族ヤサウルがイルハン朝に内通していることが発覚し、1317年にケベクはヤサウル討伐を命じられるが大敗、領地を略奪され、ケベクの配下にもヤサウル側に付くものが現れた。敗戦の後もヤサウルを追撃するが、オルジャイトゥ・ハンの援軍から攻撃を受けるに至って、ヤサウルの亡命を許すことになった。1320年にエセン・ブカが死去すると、跡を継ぐ。同年にヤサウルの専横を疎んじるオルジャイトゥとヘラートのクルト朝から共同出兵を打診されるとホラーサーンに派兵し、ヤサウルを討った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケベク」の詳細全文を読む
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