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アリー・ハサン・アル=マジード アリー・ハサン・アブドゥルマジード・アッ=ティクリーティー(アラビア語:Alī Ḥasan Abd al-Majīd al-Tikrītī علي حسن عبد المجيد التكريتي、英語:Ali Hassan Abd al-Majid al-Tikritieh、1941年11月30日 - 2010年1月25日) はイラクの元政治家で、2003年4月まで大統領顧問、バアス党労働局長、革命指導評議会メンバー、バアス党地域指導部メンバー、バアス党軍事局員であった。サッダーム・フセインの父方従兄弟。日本では「アリ・ハッサン・アル・マジド」「マジド元国防相」と呼ばれることが多い。軍階級は陸軍中将。外国メディアからは化学兵器を使用したことから「ケミカル・アリー」という異名を付けられた。中東圏でも「キマーウィー」(化学屋)という同じ意味のあだ名が付けられている〔http://www.meforum.org/273/turmoil-in-iraq-saddams-dysfunctional-family〕。 == 経歴 == 1941年、ティクリート近郊の村、アル=アウジャにハサン・アル=マジードの長男として生まれる。 教育はほとんど受けておらず、1968年のバアス党によるクーデター以前はハッバニーヤ基地で働く陸軍特務曹長としてオートバイ伝令兵を勤めていたが、クーデター参加の為に除隊〔http://www.alsakher.com/vb2/showthread.php?t=63424〕。以後、サッダーム・フセインと共にバアス党の活動に加わる。一説によると軍への入隊期間は数週間にも満たなかったとも言われる。クーデター後は正式なバアス党員となり、1973年までハマド・シハーブ・アッ=ティクリーティー国防相の副官を務めていた。1976年にはバアス党地域指導部メンバーに選出され、1978年にバアス党軍事局長となった〔http://www.guardian.co.uk/world/2010/jan/25/ali-hassan-al-majid-chemical-ali-obituary〕。1980年、内務省傘下の秘密警察組織、総合治安局(Mudiriyat al-Amn al-Amma)局長に就任し、警察国家体制の一翼を担う。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アリー・ハサン・アル=マジード」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ali Hassan al-Majid 」があります。
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