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ミハイル1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)[みはいる1せい]
ミハイル1世キルラリオス(, Michael I Cerularius, 1000年頃 - 1059年)は、正教会のコンスタンディヌーポリ総主教(在位:1043年 - 1059年)。「ミハイル」は中世以降変化したギリシャ語・現代ギリシャ語の読みを反映した転写で、古典ギリシャ語の再建音風の転写をすれば、ミカエル1世ケルラリオスもしくはミカエール1世ケールーラリオスとなる。ミカエル・ケルラリオスとも表記される。 == 略歴 == コンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル)に生まれる。ミハイル1世キルラリオスはローマ教皇レオ9世と、西方教会(カトリック教会)の東方教会(正教会)と異なる慣習、殊に無発酵パンを聖体礼儀(ミサ)において使用する西方教会の慣習について論争をした事で知られる(正教会では今日に至るまで発酵パンを用いる)。また、1054年の「東西教会の相互破門(後述)」時のコンスタンディヌーポリ総主教である。 ミハイル1世の時代、東ローマ帝国はコンスタンティノス9世モノマコス(在位:1042年 - 1055年)による失政やコンスタンティノス9世没後の内乱などにより衰退していた。このため皇帝イサキオス1世コムネノス(在位:1057年 - 1059年)は徴税を強化し、皇帝が与えた教会の財産を没収するに至った。総主教ミハイル1世はこれに対して反発したが、皇帝により逮捕された。こうした強硬策は、教会および民衆から、皇帝が反発を買う要因となった。 帝国が混迷を深める中、ミハイル1世は1059年に永眠した。
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Michael I Cerularius 」があります。
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