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ケント・ウィリアム・ハドリ(Kent William Hadley, 1934年12月17日 - 2005年3月10日)は、アメリカ合衆国アイダホ州ポカテッロ出身のプロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == にデトロイト・タイガースと契約するが、メジャー昇格のないまま11月20日にカンザスシティ・アスレチックスにトレード移籍。アスレチックスで9月14日にメジャーデビュー。は113試合に出場するものの、同年12月11日にニューヨーク・ヤンキースにトレード移籍。は55試合と出場機会が減少し、はシカゴ・ホワイトソックスに移籍するものの、ホワイトソックスではメジャーでの出場機会がなかった。 に日本プロ野球(NPB)の南海ホークスに入団。メジャー経験もある打者として期待された〔南海ホークス栄光の歴史 1938-1988、ベースボール・マガジン社、2012年、P67〕。同年5月1日の対西鉄戦でいきなりNPBでの初打席本塁打を放った〔HAWKS the 70th―ホークス栄光の軌跡、ベースボール・マガジン社、2008年、P82〕。その後も自慢の長打力を発揮し、には打率.295、30本塁打、84打点の成績を残し、この年のオールスターゲームにも選ばれている〔。翌年からも2年連続で本塁打を29本放ち(後に外国人選手として初めて通算100本塁打をマーク)〔、「ケンちゃん」の愛称で南海の主力として活躍した〔。に退団。 特に1966年の日本シリーズでは南海の1勝3敗で迎えた第5戦(大阪球場)で、延長14回表に巨人に勝ち越しを許すものの、その裏にハドリが逆転サヨナラ2ランホームランを放ち、南海が一矢を報いて意地を見せた。本人も日本を去る際、問われて日本で一番記憶に残るプレーにこのホームランを挙げた。なおハドリは1964年の日本シリーズ第4戦(対阪神タイガース)でもサヨナラホームランを放っており、日本シリーズで2本のサヨナラホームランは2015年現在でもシリーズ記録である。帰国後はアイダホ州ポテカロで保険会社の重役となり、日本から記者が取材に行くと、地元の新聞社が駆けつけるほどであった〔野球小僧remix プロ野球[外国人選手]大事典、白夜書房、2011年、P127〕。 2005年3月10日に、生まれ故郷であるアイダホ州にて70歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケント・ハドリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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