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ケン・ウィルバー : ウィキペディア日本語版
ケン・ウィルバー

ケネス・アール・ウィルバー・ジュニアKenneth Earl "Ken" Wilber Junior, 1949年1月31日 - )は、アメリカの現代思想家。インテグラル思想の提唱者。アメリカ合衆国オクラホマ州生まれ。20以上にも及ぶ著作は世界中の言語に翻訳され、専門家・一般読者の双方に幅広く読まれている。代表作は『進化の構造』(Sex, ecology, spirituality / Shambhala, 1995)、 『宗教と科学の統合』(The marriage of sense and soul / Random House, 1998)、『万物の歴史』(A Brief history of Everything / Shambhala, 1996)など。 著作活動以外では、インテグラル思想の研究組織であるIntegral Instituteの主催、そして、2005年には総合大学であるIntegral Universityを発足、現在同大学のPresidentとして運営の中核を担っている。トランスパーソナル心理学の代表的論客として、その発展に大きく貢献した(1990年代には、トランスパーソナル思想を構成要素として統合するインテグラル思想を提唱して、トランスパーソナルとの「訣別」を表明している)。
== 略歴 ==
ケン・ウィルバーは、1949年1月31日、アメリカ合衆国のオクラホマ州に生まれた。合衆国空軍に在籍していた父親の頻繁な配置転換にともない、幼児期は国内を転々とした(転居先には、バミューダ・エルパソ・テキサス・アイダホ・グレイトフォールズ・モンタナが含まれる)。ウィルバーは、当時を回想して、頻繁な転居が苦痛であったこと、そして、そうした経験のなかで物事に執着しない態度を習得したことを述懐している。いずれにしても、この時期からウィルバーは、勉強において非常に優秀な成績をおさめ、数々の賞を受賞していた。また、当時から非常に社交的な性格で、運動や自治活動等、課外活動にも積極的に取り組んでいたという。
高校生活をネブラスカ州リンカーンで終了後、1968年にウィルバーはデューク大学の医学部に進学する。しかし、ウィルバーは、進学後、すぐに「老子」(Tao Te Ching)と出逢い、それまでに自己を支えてきた現代科学を核とする思想的基盤を根本的に揺さぶられる深刻な精神的危機を経験することになる。こうした危機のなか、ウィルバーはデューク大学を退学し、ネブラスカにもどり、University of Nebraskaに再入学する。この頃、ウィルバーは、化学と生物学を専攻しながら、同時に、東西の哲学書を貪るように読破し、また、瞑想等の実践に集中的に取り組むようになったという。その後、ウィルバーは、生物化学の専攻生として大学院に進学するが、その頃すでに哲学的思索と修行の実践に自己の重心を移行していたウィルバーは、学位の取得を目前に退学をすることになる。
退学後、ウィルバーは、家庭教師や皿洗いをはじめとする諸々のアルバイトをして生計を立てながら、思索と修行と執筆の生活に従事する。1972年には、家庭教師の生徒のひとりであったエイミー・ワグナー(Amy Wagner)と結婚している。結婚生活は1981年まで続いた。また、この頃、ウィルバーは、自らの文章技術を磨くために、著名な東洋思想研究者であるアラン・ワッツ(Alan Watts)の全著作をノートに書きうつしたという。
ウィルバーの執筆作業は、普通、まず10月間ほど資料を読みこむ作業をすることからはじまるという。そして、あるとき(「ある朝、目覚めると」)、自らのなかに作品が完全なかたちで完成していることに気づくのだという。それからの数月間は、この「作品」を文字として書きとめていく作業に没頭することになる。今日まで継続するウィルバーの旺盛な創造活動は、基本的に、常にこうした過程をとおして展開しているということだが、それはこの時期に著者のなかで確立されたものである。
1973年、ウィルバーは『意識のスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)を完成する。この作品は、20以上の出版社に断られた後、1977年にQuest Booksより出版される。この作品は非常に評価され、ウィルバーは瞬く間に意識研究における新しいパイオニアとして認識されることになる。この成功を契機として、ウィルバーのもとには多数の教職の招待が舞いこむようになる。ウィルバーは、こうしたリクエストにこたえて、短期的にレクチャーやワークショップの提供を中心とした教育活動に従事することになる。しかし、教育活動の喜びを満喫しながらも、ウィルバーは、間もなく執筆生活に自らの活動を集中することを決意する。この決断について、ウィルバーはこう述懐する。
それは今という時間をどう活用するかについての決断ということできるものでした。この瞬間に、わたしは、過去に書きあげたものについて説明をすることもできますし、また、新しいものを生みだすこともできます。それは、これらのうちどちらを選択するかということでした。
1978年、ウィルバーは、ジャック・クリッテンデン(Jack Crittenden)と協力して、雑誌ReVisionを創刊する。1979年には、『意識のスペクトル』(The Spectrum of Consciousness)の「要約」である『無境界』(No Boundary)を出版。その数年後には、ウィルバーの理論体系の新段階の到来を告げる『アートマン・プロジェクト』(The Atman Project)(1980年)と『エデンより』(Up from Eden)(1981年)を発表する。また、この頃、ReVision編集の作業に集中するために、マサチューセッツ州ケンブリッジに移動する。
1983年、ウィルバーはカリフォルニア州マリン郡に移動する。間もなくして、ウィルバーはロジャー・ウォルシュ(Roger Walsh)とフランシス・ヴォーン(Francis Vaughan)の紹介でトレヤ・キラム(Treya Killam)と出逢い、結婚する。しかし、結婚の数日後、トレヤは乳癌と診断され、1984年から1987年まで、ウィルバーは、執筆活動をほぼ完全に停止して、彼女の看病に集中することになる。後日ウィルバーは、この過酷な状況のなかで、自らが一時的に瞑想の実践を放棄し、アルコールに依存するようになったことを報告している。また、1985年、療養生活のために夫婦で訪問したネバダ州レイク・タホで、ウィルバーは、汚染物質流出のためにひきおこされた疾病(RNase)に罹患する(ウィルバーは、今日も、この慢性疾患との闘病生活を続けている)。1987年、夫婦はコロラド州ボルダーに移動し、1989年のトレヤの死まで、比較的な平穏のなかで時間を過ごすことになる。ウィルバーは、トレヤの遺した日記を織り交ぜながら、ふたりの出逢いから離別までを著作『グレース・アンド・グリット』(Grace and Grit)(1991)にまとめている。
数年間の喪に服した後、1993年に、ウィルバーは10年ぶりの理論書を完成させる(出版は1995年)。それが、今日、ウィルバーの代表作として認知されている『進化の構造』(Sex, Ecology, Spirituality)である(この作品のまえに発表した最後の理論書はTransformations of Consciousness)。この作品について、著者は、「自らの最初の成熟した作品」("my first mature work")と形容しており、現在、構想されている「コスモス三部作」(Kosmos Trilogy)の第一部を構成する作品であるという。
1996年には『進化の構造』の「要約」として『万物の歴史』(A Brief History of Everything)を、そして、1997年には『進化の構造』について投げかけられた批判に応答することを目的として執筆された論文をまとめた『統合心理学への道』(The Eye of Spirit)を発表した。また、1998年には、Random Houseより、『科学と宗教の統合』(The Marriage of Sense and Soul)を発表している。
1997年、ウィルバーは、日々の哲学的考察を日記形式でまとめて、これを1999年に『ワン・テイスト』(One Taste)として出版している。この作品で、ウィルバーは、自らの理論家としての側面のみならず、実践家としての側面を強調している。その後、1999年には Integral Psychology を、2000年には『万物の理論』(A Theory of Everything)を、そして、2002年には初めての小説作品である Boomeritis を発表している。ウィルバーは、この時期をそれまでの執筆生活において最も生産的な時期であると回顧している(また、この時期、Shambhala Publicationsは、ウィルバーの全著作を編纂した集成の刊行を開始している――現在(2006年4月)、8巻が刊行済み)。
私生活の領域では、1997年にボウルダーにあるNaropa Instituteの修士課程に在籍していたマーシー・ウォルターズ(Marci Walters)と交際をはじめ、2001年に結婚をしている(2002年に離婚)。近年は、コロラド州デンバーに移動して、著述活動、そして、自らの主催するIntegral InstituteやIntegral Universityの運営活動に取り組んでいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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