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ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ : ウィキペディア日本語版
ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ

ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ(Keshar Jung Rayamajhi、1919年 - 2012年12月17日)は、ネパール政治家ネパール共産党総書記の地位にありながら、マヘンドラ国王のクーデタを支持するなど、非常に奇矯な言動の多かった人物。その言動がネパール共産党の分裂を招いた。
==生涯==
1957年、第二回党大会でネパール共産党第3代総書記に就任。
1960年、ラヤマジヒはマヘンドラ国王のクーデタを支持、インド共産党から批判され、また、党内から反発を受ける。
1961年の政党が禁止され、ネパール共産党が弾圧されるにいたっても、国王の政治に一定の信頼を表明した。そのため路線対立が生じ、インドで中央委員会が一ヶ月も続けられた。
さらに、1964年4月トゥラシー・ラール・アマーティヤはインドで勝手に党大会を開催し、ラヤマジヒを除名し、自ら総書記に就任する。ラヤマジヒは逆にアマーティヤを除名した。
ネパール共産党ラヤマジヒ派と、ネパール共産党アマーティヤ派への分裂である。これ以後、ネパールの共産主義政党は激しい離合集散を繰り返し、現在に至っている。
ネパール共産党ラヤマジヒ派は1985年に解散。その後、新党を結成し、国王から大臣に任ぜられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ」の詳細全文を読む



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