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ケーニヒスベルク級軽巡洋艦 (Leichte Kreuzer der Königsberg-Klasse) は、ドイツ海軍の軽巡洋艦の艦級で「ケーニヒスベルク」「カールスルーエ」「ケルン」の計3隻が建造された。本級は一番艦の艦名に因んでケーニヒスベルク級と呼ばれるが、いずれの艦も「K」で始まる艦名を選んで名付けられたのでK級巡洋艦とも呼称される。 == 概要 == 前型である軽巡洋艦「エムデン」に引き続き、1924年度海軍計画において仮称艦名「B」「C」「D」として3隻の建造が議会で承認された。 本級はヴェルサイユ条約でドイツに課された巡洋艦の排水量制限枠である6,000トンを守るために数多くの新技術が投入された。軽量化に船体設計の重点を置いており、艦上構造物の材質には高価な軽合金を多用し、船体の建造方法も当時の主流であるリベット止めではなく、最新技術の電気溶接を採用し、船体の85%が電気溶接で組み立てられた。 主砲は防御力と火力を向上しつつも武装重量を軽量化すべく新設計の三連装砲塔を採用して3基計9門を装備したが、前方に1基を配置、後方に2基が配置された。ドイツ巡洋艦史上、前例のないこの配置は艦の排水量を縮小する他に撤退時の後方火力を優先したためであった。艦の火力が前方に3分の1しか配置されないという不利を補うため、後部の2番主砲塔は左舷よりに、3番主砲塔は右舷よりにオフセット配置された。この配置により3番主砲塔を右舷側のみ前方に指向する事が可能となった。しかしながら、無理な軽量化と主砲配置を行ったために長期の巡航に溶接が耐えられず船体が割れる問題が生じた。一隻は巡航を中断してサンディエゴで修理を行わなければならなかった。加えて本級はその構造上安定性を欠き、外洋での行動が制限されたため第二次世界大戦においては北海およびバルト海だけで活動し、通商破壊に参加することはできない戦略上の弊害が出た。 File:Königsberg 3.jpg|1936年代に撮影された「ケーニヒスベルク」。2番煙突後部に後部マストが追加された。 File:Köln 1.jpg|艦首から撮影された「ケルン」 File:Köln 2.jpg|艦尾から撮影された「ケルン」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケーニヒスベルク級軽巡洋艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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