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ゲイリー・マシューズ・ジュニア : ウィキペディア日本語版
ゲイリー・マシューズ・ジュニア

ゲイリー・マシューズ・ジュニア(Gary Nathaniel Matthews Jr., 1974年8月25日 - )は、MLBの右投両打の元プロ野球選手外野手)。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身。
父のゲイリー・マシューズ・シニアは、にルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得している元メジャーリーガーである。
== 略歴 ==

=== プロ入り - パドレス時代 (1994 - 1999) ===
6月3日ドラフト13巡目でサンディエゴ・パドレスから指名を受けた〔Gary Matthews Statistics and History - Transactions - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年11月4日閲覧。〕。しかし、すぐにプロ入りには至らずに、翌5月25日になってようやく契約を結んだ〔。同年は、ノースウェスト・リーグ (A - 級) のスポケーン・インディアンズに配属され、52試合に出場した。打撃では打率.209・18打点・3盗塁OPS0.538という成績に終わり、また、出場試合数を上回る58三振を喫し、ミート面で課題を残した。守備では51試合で外野を守り (ポジションの内訳は不明〔Gary Matthews Register Statistics & History - Register Fielding - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年11月4日閲覧。〕) 、4失策守備率.960とやや不安定だった。また、1試合でセカンドの守りにも就いた。
マイナーリーグでのランクを1つ上げ、ミッドウェスト・リーグ (A級) のクリントン・ランバーキングスで1シーズン、プレーした。ランバーキングスで128試合に出場し、打率.238・2本塁打・40打点という打撃成績を残したほか、盗塁を36回試みて28回成功 (成功率78%) させ、走力をアピールした。守備面では、ライトを81試合・センターを46試合で守ったが、通算9失策・守備率.966という成績に終わり、前年からあまり成長しなかった。
は、A + 級カリフォルニア・リーグランチョクカモンガ・クェークスに所属。123試合に出場して打率.271・7本塁打・54打点という打撃成績を残した。また、二塁打21本・三塁打11本と合わせて39本の長打を放ち、バッティング面で大きく成長した。一方で、前年に高い能力を見せた走塁面では、盗塁に15回トライして7回しか成功せず、不安定さが露呈した。ポジションは引き続きライトがメインで、112試合で守備に就いた (センターは10試合) 。だが、トータルで16個もの失策を犯し、守備率が.934まで低下するなど、相変わらずの拙守だった。
、前年に引き続いてクェークスに所属し、69試合に出場。バッティング面で更なる成長ぶりを見せ、打率.302・8本塁打・40打点・出塁率.416・OPS0.893という見事な打撃成績を残した。走塁面でもやや復活し、10盗塁を決めたほか、三塁打も4本放った。守備面では、センターを38試合とライトを30試合で守り、計5失策・守備率.959という成績だった。また、この年は1つランクが上のサウザーン・リーグ (AA級) のモービル・ベイベアーズへの昇格も経験。ベイベアーズでは28試合でプレーしたが、打率.244・2本塁打・12打点という低調な成績に終わった。クェークスとの合計では、97試合の出場で打率.288・10本塁打・52打点・14盗塁という成績を記録した。なお、ベイベアーズでの守備成績は、26試合でライトを守って2失策・守備率.960という成績だった。
は、1シーズン通じてベイベアーズに所属。出場試合数は72試合に留まったが、打率.307・7本塁打・51打点・11盗塁という好成績をマークした。また、50三振に対して四球を55個選んで選球眼の良さを発揮し、出塁率は.428という高率だった。走塁面では前述の11盗塁に対し、盗塁死は僅かに1つだけであり、成功率は92%だった。この年は守備面でも大幅な成長を見せ、68試合で外野 (ポジションの内訳は不明〔) を守ってエラーを1つだけに留め、守備率.995という好成績を残した。
は、マイナーで最上位のAAA級であるパシフィック・コースト・リーグラスベガス・スターズに昇格。スターズでは121試合に出場し、打率.256・9本塁打・52打点・17盗塁という成績を残した。守備ではセンター専業になり、120試合で守りに就いた。守備成績は、7失策・守備率.976という内容だった。なお、この年はメジャーデビューも飾った。デビュー戦は6月4日の対シアトル・マリナーズ戦で、「7番ライト」でスタメン出場したが、2打数無安打に終わった〔June 4, 1999 SEA VS SDP - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年11月5日閲覧。〕。一方で、四球を2つ選び〔、マイナーで見せていた選球眼の良さの一端をアピールした。メジャーでは23試合に出場し、打率は.222ながら出塁率は.378という高率だった。守備面では外野の全ポジションを守り分け、ライト9試合・レフト6試合・センター2試合で無失策と、無難にこなした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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