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ゲオルギー・ジューコフ : ウィキペディア日本語版
ゲオルギー・ジューコフ

ゲオルギー・コンスタンチーノヴィチ・ジューコフ(、1896年12月1日 - 1974年6月18日)は、ソビエト連邦の軍人、政治家。ソ連邦元帥まで昇進した。
== 生い立ち - ノモンハン事件 ==

モスクワ近郊のカルーガ県(当時のモスクワ州内)マロヤロスラヴェツ郡ウゴツコ・ザヴォーツカヤ郷、ストレルコフカ村の、農閑期には行商に出る半農半商の貧困家庭に生まれた。少年のうちから頭がよく、学校の成績もよかったが、初等教育を終えると毛皮職人の見習いとしてモスクワに年季奉公に出される。1915年、第一次世界大戦中のロシア帝国に19歳で徴兵され、一兵卒として第5予備騎兵連隊に配属された。1916年春、下士官としての教育のために、第10竜騎兵連隊に配属。ジューコフは大戦中の勇敢な行為により、聖ゲオルギー十字勲章を2回授与され、上等兵(下士官)に昇進した。
ロシア10月革命が勃発すると、ソ連共産党に加入した。チフスを一時期患った後、1918年から1920年にかけて赤軍の一員としてロシア内戦を戦い、農民の反乱を鎮圧した功績により赤旗勲章を授与された。1923年に騎兵連隊長、1930年5月には騎兵旅団長と昇進を重ねた。のち、赤軍騎兵監察官補佐官、第4騎兵師団長、第3騎兵軍団長、第6騎兵軍団長を歴任。
1937年から1939年におよぶスターリンによる赤軍の大粛清を生き残ったが、依然として政治的に不穏な情勢にあったモスクワを避けて、1938年、第1ソビエト・モンゴル軍集団の司令官に就任した。そこでは、日本の樹立した満州国モンゴルの国境地帯において、日本の関東軍との間に何度も小競り合いが起きていた。関東軍にとって最初は、ソ連の国境防衛能力を試す意図があったが、急速に大規模な戦闘に発展したことを受け、最終的に戦車500両以上、航空機500機以上、兵員数万人が投入されることとなった(ノモンハン事件、ソ連側の呼称・ハルハ河事件)。
事前の入念な作戦準備、特に後方の整備と兵站を非常に重視していたジューコフはまず輸送体制を組織し、充分な戦争資材が集積されるのを待ったのち、1939年8月20日より関東軍に対する反撃を開始した。砲兵の支援のもと、自動車化された歩兵と、2個戦車旅団が戦線の両翼を進撃する大胆な機動を行って第6軍 (日本軍)を包囲し、第23師団を壊滅させるなど大打撃を与えた。2週間の内に関東軍は撤退し、その後、国境線はソ連・モンゴルの主張通り確定された。この功績により、ジューコフは「ソ連邦英雄」の称号を与えられた。しかしソ連以外では、この戦いはあまり知られず、ジューコフの機械化部隊の機動的運用という革新的戦術も、当時の西欧諸国に注目されることはなかった。この戦術が周知になるのは、のちのナチス・ドイツによるポーランドやフランスへの電撃戦を待たねばならなかった。
ソ連崩壊後に明らかになった資料によると、この戦闘におけるソ連側の損害も日本側と比べ少なくなかった。しかしソ連の戦術は基本的に、圧倒的な兵力と物量で戦場の制圧を狙うもので、その勝利の基準は損害の寡多ではなく、目的を達成できたかどうかであった。ジューコフは全軍歴を通じ指揮した作戦のほぼ全てで勝利を収める輝かしい戦績を持っている一方、彼の作戦ではソ連軍はほとんど常に敵の数倍の死傷者を出し、第二次大戦におけるソ連軍の死傷者数は、ドイツ軍の5倍に達する〔第2次世界大戦における各国軍の戦死者数には諸説があるが、Times刊の 「アトラス 第二次世界大戦歴史地図」のデータによると、ドイツ側は西部戦線アフリカ戦線等の、対英米戦の死者をすべて含めても、総計285万人。ソ連軍の戦死者数は1450万人〕。ジューコフは、ソ連軍が戦闘技術や兵員の基本的資質では敵より劣っていること、一方で強みは物量にあることを認識していた。そして勝利のためには、敵の数倍の自軍兵士の人命を消耗する必要があることを、最初から必須の前提と考えていた。自国兵士の膨大な死傷者数に動じないジューコフの冷酷さには、スターリンですら感銘を受けるほどだった〔「スターリングラード」Antony Beevor〕。
1940年5月初め、スターリンはジューコフを認め、キエフ特別軍管区司令官に任命し、上級大将の階級を授与した。同年12月、参謀本部において各軍管区司令官の会議が行われたが、ジューコフはドイツ軍のソ連攻撃が不可避であることを強調して、戦車・機械化部隊の編成の加速、空軍・防空部隊の強化を最重要課題として提起した。1941年1月、ジューコフは赤軍の参謀総長 / 副国防人民委員に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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