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ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー
ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー (Hans-Dietrich Genscher、1927年3月21日 - 2016年3月31日) は、ドイツ連邦共和国の政治家。自由民主党(FDP)の党首として、ドイツ社会民主党のヘルムート・シュミット、次いでキリスト教民主同盟のヘルムート・コールと連立政権を組み、1974年から1992年まで、副首相兼外務大臣を務めた。18年間にわたる外相在任は、現在のところドイツ史上もっとも長期の在任記録である。 == 経歴・概要 ==
=== 出生から青年時代まで === ゲンシャーは、ハレ近郊のライデブルク(現ザクセン=アンハルト州ザール郡)に生まれた。この土地は、東西分断後、東ドイツ領となった土地である。父親は法律家であったがゲンシャーが10歳のときに死去した。ハレの高校に通っていたが、第二次世界大戦中の1943年から1945年まで、ゲンシャーは、ヒトラーユーゲントに参加し、後にドイツ国防軍で空軍補助兵の兵役に就いていた。1945年、18歳になったゲンシャーは、現役軍将兵が政治組織のメンバーになることを避けるよう促す規制があったにもかかわらず、ナチ党員となった。また本人の言によれば「親衛隊に配属されるのを避けるため」、同年ドイツ国防軍に志願した。 ドイツの敗北とともに、ゲンシャーは短期ながらイギリス軍の戦争捕虜となった。戦争終結後、ゲンシャーは建築助手で生計を立てつつ、ハレで大学入学資格を得たが、1946年冬に結核に罹り、3ヶ月のサナトリウム入院を強いられ、その後も入退院を繰り返した。その一方でハレ大学およびライプツィヒ大学で法学と経済学を修め、1949年に第一次国家司法試験に合格、ハレ地方裁判所で試補となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー」の詳細全文を読む
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