翻訳と辞書
Words near each other
・ ゲンナジー・ジュガーノフ
・ ゲンナジー・ストレカロフ
・ ゲンナジー・セレズニョフ
・ ゲンナジー・チェルカーソフ
・ ゲンナジー・チェルノフ
・ ゲンナジー・チェルノヴォル
・ ゲンナジー・チャーノフ
・ ゲンナジー・トロシェフ
・ ゲンナジー・ネヴェリスコイ
・ ゲンナジー・パダルカ
ゲンナジー・パルシン
・ ゲンナジー・ビロディド
・ ゲンナジー・ブルブリス
・ ゲンナジー・ボロノフ
・ ゲンナジー・マナコフ
・ ゲンナジー・ヤナーエフ
・ ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
・ ゲンナジー・ヴォロノフ
・ ゲンナディ
・ ゲンナディオス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ゲンナジー・パルシン : ウィキペディア日本語版
ゲンナジー・パルシン

ゲンナジー・ヴァシリエヴィチ・パルシン(、、1939年5月29日 - )は、ソビエト連邦マハチカラ出身のバレーボール指導者。元ソビエト連邦男子代表監督。FIVB公認インストラクター(レベル3)。ソ連・カザフスタンラトビア功労監督。
バレーボールカザフスタン男子代表監督。
== 来歴 ==
若年時代はアルマトイで過ごす。1961年アルマトイスポーツアカデミー卒業。
1968年から1992年までリガの強豪・ラジオテクニカ・リガ()男子監督として活躍。ヨーロッパ・ウィナーズカップ(:en:CEV Top Teams Cup)連覇を含む優勝3回(1973/74・1974/75・1976/77)、ソ連トップリーグ(現ロシアスーパーリーグ)で1983/84シーズン優勝および準優勝6回、スパルタキアード(、ソ連における国体)優勝1回と数々の栄冠に輝く。
それと並行してソ連代表スタッフとして働く。1978年からジュニア代表監督に就任、81年にはコロラドスプリングスで開かれた世界ジュニア大会で優勝。1986年からA代表監督に就任、1986年世界選手権準優勝、1987年欧州選手権優勝、1988年ソウル五輪銀メダル、と数々の勝利に導く。また、在任中にはシンガポールで行われた世界バレーボールフェスタで、世界オールスターチーム監督も経験した。
ソ連崩壊後の1992年からトルコイスタンブルネタシュ・イスタンブル(NETAŞ İstanbul)男子監督に就任。トルコリーグ(:tr:Aroma Erkekler Voleybol 1. Ligi)で1995/96シーズン準優勝、翌1996/97シーズンはCEVカップ(:en:Challenge Cup (volleyball))準優勝、リーグ優勝とカップ戦優勝の国内2冠。また、同年にはトルコ男子代表監督として、欧州予選を勝ちぬき1998年世界選手権出場権を獲得。同年には全トルコ年間最高外国籍監督賞を受賞する。
1999年オレーク・アントロポフと共に来日、VリーグJTサンダーズ監督に就任〔。在任中、2001年・2004年と2度全日本選手権優勝するものの、リーグでは2位が3度と優勝には届かなかった〔。2006年に勇退〔、後任はアントロポフが務めた。
その後はトルコ男子代表コーディネーター、2008年10月からカザフスタン男子代表監督に就任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ゲンナジー・パルシン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.