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ゲーテのファウストからの情景 : ウィキペディア日本語版
ゲーテのファウストからの情景

ゲーテのファウストからの情景(ゲーテのファウストからのじょうけい、原題:''Szenen aus Goethes Faust'' )』は、19世紀ドイツロマン派作曲家ロベルト・シューマン(1810年 - 1856年)が作曲した独唱混声合唱児童合唱管弦楽のための音楽
作品番号は付けられておらず、「WoO 3」とされている。
序曲と全3部からなり、演奏時間は約1時間55分(序曲約8分、第1部約17分、第2部約45分、第3部約45分)。
ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年 - 1832年)の代表的詩劇『ファウスト』(第一部及び第二部)を題材として、1844年から1853年にかけて作曲された。
シューマンの合唱曲には、オラトリオ楽園とペリ』(作品50、1843年作曲)や劇付随音楽マンフレッド』(作品115、1848年 - 1849年作曲)といった管弦楽を伴う大規模作品があるが、中でもこの『ゲーテのファウストからの情景』は、編成の大きさ、10年間という作曲期間に作曲家の精力が最も集中された点において、シューマンの全創作のうちでも畢生の大作といえるものとなった。
== 作曲の経過 ==
シューマンの作曲覚書(計画帳)によると、以下の通りである。
* 1844年、ライプツィヒにおいて第3部の終わりの情景(『ファウスト』第2部終結部より)。
* 1847年、ドレスデンにおいて第3部終結部「神秘の合唱」。
* 1848年、第3部天使の合唱「高貴なる分肢は救われたり」。
* 1849年7月13 - 14日、第1部第3曲「寺院の中で」。15日、同第1曲「庭の場面」。18日、同第2曲「悲しみの聖母像の前でのグレートヒェン」。24 - 26日、第2部第1曲「アリエル、日の出」。8月、オーケストレーション。
* 1850年4月25 - 28日、第2部第2曲「真夜中」及び同第3曲「ファウストの死」。5月18日までオーケストレーション。
* 1853年8月13 - 15日、デュッセルドルフにおいて序曲のスケッチ。16 - 17日オーケストレーション完成。
全曲は概ね第3部、第1部、第2部、序曲の順で成立しており、日本音楽学者前田昭雄は、『ファウスト』最奥の本質的なところから筆が起こされているとする。
1844年1月25日から5月末にかけて、シューマンは妻クララロシアへの演奏旅行に同伴した。
その途上、エストニアのドルパッドにおいて『ファウスト』終末部に霊感を受けたシューマンは、ライプツィヒに戻ると『ファウスト』の音楽化の構想を練り始めた。
しかし、5ヶ月間にわたる旅行の負担に加えて、『ファウスト』の音楽に精魂を傾けたことによる神経疲労からシューマンの体調は悪化し、8月には精神障害の症状に悩まされるようになった。
シューマンは『ファウスト』第2部の終わりの情景から作曲に取りかかったものの、作品に描かれている天の超越性や透徹した精神性、光の明澄さを音楽で表現するために、シューマン自身の言によると、心身ともに「消耗し尽くして」しまわなければならなかった。
また、シューマンは当初『ファウスト』をオペラ化することを考えていたが、原作の持つ巨大さ、複雑さ、濃密さのために、オペラではなく『ファウスト』からいくつかの場面を抜き出すことにより交響詩的な作品をめざすことにした。
病気のために作曲は一時中断されたものの、ドレスデンに移った後もシューマンは断続的にこの作品に取り組んだ。
1849年8月29日には、「ゲーテ生誕100年祭」にちなんでこの曲がドレスデン、ヴァイマル、ライプツィヒで部分的に上演されている。
最後に序曲が書かれたのは、シューマンがデュッセルドルフに移った後だった。フランスの著述家、マルセル・ブリオン:fr:Marcel Brion, 1895年 - 1984年)によると、シューマンはこの序曲で『ファウスト』全体が集約されるような音楽を書こうとした。「巨大な劇的迫力をもって『ファウスト』全体の人間的、また超人間的悲劇を隈取りつつ、壮大な内的統一を保持するため、シューマンは自己の精神が澄み切る瞬間を最後の最後まで待ち続け、1853年4月13日から15日にかけての3日間で一気に書き上げた」としている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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